出会いは人生を変える。
出会いによって、彼女は生きる意味を教えられた。
出会いによって、彼女は暖かく優しい思いやりを与えられた。
出会いによって、彼女は闇ではなく、光に目を向けられるようになった。
そして、あの日。
あたしは、全てを変える、運命の出会いを果たす。
風が吹いて、窓の外に干した敷布をはたはたとなびかせる。
今日は良い天気だ。これならたまっていた洗い物も、すぐ乾くだろう。
「そこの山、持ってきてくれる? 全部洗っちゃうから」
包帯を消毒液につけて洗いながら彼女が言うと、
「は、はいっ。これですね」
後輩の友実は、つみあがった包帯の籠をよいしょと持ち上げた。
そのままこちらに来ようとして、前が見えないものだからよたよた、と頼りなく左右に揺れてしまう。
「ちょっと、それ床にぶちまけないでね」
今にも転びそうでひやひやしながら声をかけた時、廊下の向こうから慌しい足音が聞こえてきた。
「?」
ずいぶん急いでる、何だろうと入口に目をやったら、十二班の沖若がどたどたと走りすぎ、すぐに止まって引き返してきた。
「か、鑑原さん、こちらでしたか! すみません、ちょっと来ていただけませんか!?」
「え、何? 急患? 班長はどうしたの?」
息せき切った様子に驚いて、問う。
今の時間なら、救護担当は十二班が詰めているので、一度によほどの人数が運び込まれない限り、手は足りているはずだ。
もし下位隊員に手が終えないほどの重症なら、十二班の班長席官が呼ばれる。わざわざ担当時間外の自分を探しに来る必要は無いはずなのに。
彼は妙に慌てた様子で、
「今っ、急患で運び込まれてきた患者がっ、受付で暴れていて、班長殴られて気絶しちゃって……僕達だけじゃ、とても抑えられないんですっ。
鑑原さんに来ていただかないと、怪我人増えますっ」
「あ、暴れてる!? だって、その人急患なんですよね?」
友実がぎょっとして声を上げた。とはいえ、急患で運ばれてくるような重傷者が詰所で暴れる事態はよくあることだ。そして、そういう事によく引っ張り出されるのも、なぜか彼女なのだ。
「あぁ、そう……」
他に男手もあるってのに、何であたしが。思いっきりげんなりしながら、雪音は仕方なく立ち上がった。
「分かった、今行くわ」
急かす沖若を案内に部屋を出て行こうとして、後ろを振り返る。友実が後をついてこようとしていたので、手で止めた。
「友実君はそのまま、包帯洗って、干しておいて。あたしは、あっちの手伝い行くから」
「え、あっ、は、はい!」
沖若の後を、というより途中で追い抜かして、廊下を走る。
その先の受付へと近づくほど大きくなっていくどよめき、悲鳴、怒声。どうやらよっぽど大事になってるらしい。
雪音はだんっ、と部屋に踏み込んだ。そして、
「…………何これ……」
踏み込んだ途端、目の前に広がる光景にめまいを覚えた。
部屋の中央に、ぼろぼろの着物をまとい、全身血まみれになって暴れてる男がいる。
「お、落ち着いてください! これから処置を、処置をしますから!」
その動きを止めようとしがみつく連中をちぎっては投げ、ちぎっては投げて、周囲に四番隊隊員の山を積み上げ、
「離せ、馬鹿野郎! 俺ぁ、まだ負けてねぇんだ!」
腹の底に響くような怒声で、男が吼えた。
その声と同時に霊圧が衝撃となって噴き出し、雪音の隣で息を切らしていた沖若がヒッ、と悲鳴をあげる。
見るからに重傷を負っているというのに、刃物のごとく鋭い霊圧。なるほど、これでは、霊圧の低い下位隊員が圧倒されてしまうのも仕方ない。
「あれ、何番隊の誰?」
びり、とこめかみの辺りに感じた震えに顔をしかめながら聞くと、ぶるぶる震える沖若が「じゅ、十一番隊の、斑目さんです」と答える。
その答えに、ひき、と更に顔がひきつった。
(あぁもう、十一番隊って、ほんとにあほばっかりなんだから! 何でこう、面倒ばかり引き起こすか!)
雪音は怒りを抑えようと努力しながら、ずんずん男に近づいていった。
「一角、駄目だよ暴れちゃ!」
斑目の腕を掴んで宥めているのは、こちらも見覚えの無い男だった。
優男然としているが、暴れて外に出て行こうとする斑目が動けないのは、彼が抑えているためらしい。
雪音はずん、と男の前に立ちふさがった。
「何だっ、てめぇっ」
髪をいっぺんも残さずそりあげた頭からだらだら血を流し、肩で息をしながら、斑目が雪音を睨み付けて来る。
野生の獣を思わせる、殺気に満ちた視線と霊圧が一瞬雪音の感覚を揺らしたが、すぐにやり過ごせた。
相手の全身に素早く視線を投げると、立っているのが不思議なくらいの重体なのが分かって、
(くそっ、馬鹿男が!)
強い苛立ちがこみあげてきた。こんな怪我してるくせに、何が負けてねぇ、だ! 雪音は相手をぎらっと睨みつけて、
「何だじゃないわよ、このハゲ」
「あぁっ!?」
吐き捨てるように言ったら、額に青筋を浮かべて斑目がガンつけてくる。だが、血噴き出してふらふらの状態で凄まれたって、怖くはない。
「あんた自分の今の状態、分かってんの? そんな体でここを飛び出したところで、途中で倒れてのたれ死ぬのが関の山よ。大人しく治療を受けなさいよ」
「うるせぇ、てめぇに関係ねぇ! 俺は、あの虚と決着をつけなきゃならねぇんだ!」
かみつくような勢いで言われ、怒りをそのまま現したように、霊圧がはじけ飛ぶ。
周囲の隊員がその圧力に怯えて身を引いたが、雪音はハッ、と鼻で笑ってしまった。
「その頭は髪だけじゃなくて、中身まで無いわけ? そんだけずたぼろになって、それでもそいつを倒せなかったんなら、何度やったって同じよ。
また負けてここに転がり込んできて、あたし達の手を煩わせるってんなら、今飛び出していって、とっとと死んできなさいよ。
こっちだって、そのほうが面倒がなくていいわよ!」
「おい、それは言いすぎだろ! あんた四番隊の人間じゃないのか!」
彼女の言葉に、斑目を抑えていた男が咎めの声を上げた。
そのせいで力が緩んだのか、斑目は男の腕を払いのけ、ガッ! と雪音の襟首を掴んできた。
凄まじい勢いで、体ごと引きずられるように持ち上げられてしまう。
「てめぇ……死にてぇのか」
斑目がぶるぶる手を震わせながら、睨み殺せそうな目で見上げてくる。
だが怖くはない。首が絞まって苦しいが、こんな死に損ないに脅されて怯むものか。
雪音は腰の後ろから竹筒を取り出して、さっと傾けた。
ぴちゃっ、と音を立てて、液体が班目の顔にかかった。
「あ?」
予想外の事に虚を突かれたのか、斑目の動きが止まる。次の瞬間、
「なっ、てめ、なに、……ぅお……っ」
斑目はぐりん、と白目を向き、足元から崩れるようにどぉん、と倒れてしまう。
「いっ……!」
床に放り出されて、したたかに背中を打ってしまう。痛い、だがへたばってる場合じゃない。
雪音は斑目のそばに膝をついて、まぶたをめくり、脈を取った。
うん、しっかり気絶してる。よっしOK、さすがあたしの特製震点、効果抜群!
「第二治療室、準備して! すぐに斑目隊員の治療を始めます!
鈴、吉峰、花菱の三名は手術補助に、沖若は班長を掘り起こして副隊長に報告、他はここの片付けと負傷者の治療をしなさい!」
「は、はい!」
「分かりました、ただちに!」
雪音は声を張り上げて、呆気に取られた隊員達の尻をたたいてから、昏倒した斑目を運ぶため、腕を掴む。と、
「僕も手伝うよ」
さきほど斑目を抑えていた男が、手を貸してくれた。男の腕を肩に回して引きずり起こしながら、
「君、度胸あるね。こんな状態の一角にかみつかれて、引き下がらないなんて」
感心したように言ってくる。反対から腕を回して、雪音はけっ、と唸った。
「この四番隊で、怪我人があたし達に勝てる道理なんて無いのよ」
「一角。気分はどう?」
目を覚ますと、寝台の脇には弓親が居た。
一角は何度か瞬きをして意識をはっきりさせようとしたが、霞でもかかっているように、頭がぼんやりしてくらくらする。
しかも身体にぐるぐる包帯を巻かれているせいで、身動きも取れない。
「弓親か。……最悪だ。ツイてねぇ」
ぶすっとして言い放つが、弓親はそう? と首を傾げた。
「随分、顔色が良くなったと思うよ。あと二、三日も寝てれば良いみたいだから、この際ゆっくり休んでおきなよ」
二、三日だぁ? 一角は目をむいて弓親を見た。
「おい、冗談だろ? こんなの大した怪我じゃねぇよ、そんなに寝てたら、あの虚がどっかの誰かにやられちまうかもしれねぇだろ」
「一応、まだどこの隊も補足出来てないみたいだから、安心しなよ」
なだめるように言って、弓親は肩をすくめた。
「それに今は、無理して動かない方がいいよ。無茶したらまた、あの女に昏倒させられるよ?」
「あの女?」
「ほら。一角がここに来た時、こっちの手を煩わせるくらいなら死ねって言ってた、あの女」
「……あのクソ女か」
顔を思い出すだけでむかむかして、一角は唸った。液体のかかった場所をごし、とこすって、
「何なんだあいつは、戦いもしねぇでぶるぶる震えてるだけの四番隊のくせに、あの大層な口の利き方はよ」
ぶつぶつ文句を言う。
「面白いよね。血まみれの一角相手に真っ向から立ち向かっていくから、僕はちょっと感心しちゃったよ」
「面白くねぇ! 俺はあいつが妙な薬使いやがったせいで、まだ頭がふらふらするんだぞ!」
怒鳴ったらまためまいがして、一角はきつく目を閉じた。弓親が、くっと笑う。
「どうやらあの女、名物隊員らしいよ? 四番隊のくせに態度が大きくて、毒舌で患者を震え上がらせてるって。
うちの隊の連中が詰所で暴れたら、寒空の下にたたき出されたって聞いたよ」
「あぁ? なんだそりゃ」
一角はまぶたを開けた。何の冗談かと弓親を見たが、表情を見ると嘘ではないらしい。
弓親は、長かったのを切り揃えた髪に指を通して、
「さっきもここに来る前、そこの前庭で何かしてたみたいだよ。まだ居るんじゃないかな」
目で窓を指す。示されるまま、一角は起きあがって、かまちに手をかけた。途端、
「……冗談じゃないわよ! こんな値段で買えるわけないでしょう!」
周囲の静寂を突き破るような怒声があがった。何かと身を乗り出してみれば、弓親が言った通り、件の女が前庭に居た。
どこかの商人らしい男と品物を広げて話をしていたらしく、手に持った紙をぱしん、とたたき、
「通常の二割増しなんて法外よ、足下見てんじゃないわよ。これだけまとめて購入するんだから、むしろ割引するのが筋ってもんでしょ?!」
「しかしですねぇ、実際この商品は品薄でしてねぇ。お得意様のご用命ですから、うちでも随分苦労して集めてお持ちしてるんですよ。
まぁ、こう言っては何ですが、出来ればその手数料にちょっと上乗せして頂ければと。この時期にこれだけの数を揃えられるのは、うちだけですよ?」
「ハッ、そりゃそうでしょ、事前にあんたのところが需要を見越して、大量買い付けで保管してんだから」
「うっ……な、何故それを、あ、いやその」
「倉庫に唸るほど在庫がある癖に、無い振りして渋ってんじゃないわよ! 死神相手にこんな阿漕な商売する気なら、今後の取引は備前屋さんに回すからね!」
「ああっ、それはご勘弁下さい! 備前屋さんに出てこられたら、うちは干上がってしまいます! わ、分かりました、お値段のほうは勉強させて頂いて……このくらいでは?」
ぱちぱちとそろばんに指を滑らせる商人。女はそれをのぞき込み、容赦なく玉を弾いた。
「これなら良いわ」
「ひっ……こ、これはちょっと……。せめてこれで」
再度商人が玉の数を変えると、女は腰に手をあててフン、と鼻を鳴らした。
「しょうがないわね、それで譲歩してあげるわ。
じゃあ今日はここにあるだけ納品してもらうから、残りは三日以内に持ってきてちょうだい。少しでも遅れたり数が足りなかったら、その時は……」
「わ、わわわわかっておりますー!」
ほとんど悲鳴のような声で、商人は平身低頭、品物を箱に詰め込み、女と一緒に詰所に入っていった。それを見送った一角は、うへぇ、と口を曲げる。
「何だありゃ、ほとんど脅迫じゃねぇか」
「商売人かヤクザかってところだね」
一角と並んで窓から眺めていた弓親が、感心した様子で頷いた。
確かにあの勢いでまくしたてられたら、普通の奴は怖じ気づくだろう。
(それにしたって、うちの隊の連中も情けねぇ。あの商人みてぇなのならともかく、仮にも十一番隊の隊員が、たかが女一人にたたき出されるなんざ。そんなふぬけた話、更木隊の沽券に関わるぜ)
「よし、決めた。あの女、今度会ったら礼儀ってもんをたたき込んでやるぞ。虚一匹斬れねぇ奴に、デカイ顔させてられるか」
自分の事はすっかり棚上げした一角が、決意を込めて拳を手のひらに打ち付ける。
弓親は再び椅子に座って、まぁ好きにしなよ、と言った。
「面白いとは思うけど、あんなに騒々しい女は美しくないからね。ちょっとくらい、痛い目にあわせてやったら」
「……抗生剤の量はそれでいいわ。じゃ、後はよろしく」
「はい、有難うございました!」
ぺこ、と頭を下げる友実に手を振って、雪音は個室を出た。
さて次の患者は、と隣室の木札を見て、思わず顔をしかめる。
部屋の番号と患者の名前が記される木札には、十一番隊斑目一角、と墨痕鮮やかに書かれていた。
十一番隊の連中は大概、どいつもこいつも野蛮で下品でどうしようもないと雪音は思っている。その中でもこの斑目とかいう男は、群を抜いてあほだ。
救護詰所の受付で暴れて、瀕死の重傷を負ってるくせに虚を倒しに行く、などと息巻いてた様を思い出すだけで、頭が痛くなる。
(まともに相手してたら、大喧嘩になりそう。さっさと診察終わらせよ)
雪音は部屋の前で一つ深呼吸すると、
「斑目さん、失礼します」
出来るだけ穏やかな声をかけて、戸を開けた。途端、
「来やがったな、クソ女」
寝台の上にあぐらをかいた斑目が、こっちを睨み付け、威嚇の一声をかけてくる。
「…………」
来たよ。うざ。
雪音はうんざりしてため息をついた。十一番隊ならこんなふうに、初手から脅してくるだろう、と思った通りの反応だ。
おまけにまだ横になっていなければならないのに、何を勝手に起きてるんだこの野郎は。
怪我の程度が本気で分かってないあほが。
「何だよその目は、あぁ?」
気持ちがそのまま顔に出てしまったのか、斑目は眉間のしわを深くし、
「てめぇ、よくもこの俺に妙な薬使いやがったな。おかげでこんな有様だ、これであの虚を取り逃したら、かわりにてめぇを叩っ斬るぞ」
脅しめいた口調で唸るけど、いちいち相手にしてもしょうがない。
雪音は部屋に入ると、ずかずかと寝台に歩み寄った。いきなり眼前にまで近づいたから、喧嘩を売られると思ったのか、「ンだコラ、やるか?」と身構える斑目。
だが雪音は、包帯が巻かれた斑目の肩をがしっと掴んで、
「いっ……!!」
奴が怪我の痛みにひるんだその隙をついて、突き飛ばすように勢いよく、寝台に背中を叩きつけてやった。
「ぐはっ!!」
盛大に寝台をきしませ、激痛に硬直する斑目。それを見下ろし、雪音は腰に手をあてて、阿呆と鼻で笑う。
「そんなボロボロの状態で、あたしを斬れるもんならやってみなさいよ。ぐだぐだ詰まらない脅しをするだけで脳の無いあほね、あんたは」
「んなっ……な、何だとてめぇ! てめぇこそ治すしか脳がねぇ、役立たずじゃねぇか! 虚相手に刀抜く事もできねぇ四番隊の腰抜けが、何抜かしやがる!」
雪音に掴まれた肩を手で覆いながら、斑目が吼える。その言い草にむかっとして、ぎろっと睨み下ろした。
「はぁ? あほじゃないのあんた。四番隊はね、あんた達に出来ない治療や、物資の補給が仕事なの。
刀振り回して虚に飛びかかっていくだけで、何にも考えないで済むあんた達とは、根本的に存在理由が違うのよ」
「けっ。そんなもん、戦えねぇ奴らの言い訳でしかねぇだろ。護廷十三隊のお荷物部隊が、何を偉そうに存在理由だ、馬鹿が」
「はっ。そのお荷物部隊に命救ってもらったのは、どこの間抜けよ。何だかんだ言ったってあんたなんか、今ここから動く事だって出来ないくせに」
「んだと……うごっ!」
まだ毒づく気配なので、雪音は斑目の鳩尾に拳を入れた。息を詰まらせてぴくぴく痙攣するのを冷たく見放し、棚から包帯を取り出す。
さっき掴んだせいで傷口が開いたのか、斑目の肩の包帯に血が滲み始めていた。
「うだうだ無駄口叩いてないで、大人しく寝てなさいよ。怪我さえ治れば、あんたみたいな患者、こっちから願い下げなんだから」
「てっ……め……さ、さわんな……」
顔を青くして息を荒げながら、斑目が呻く。その相手をする気はないので、
「ほら、起きれるんでしょ。薬つけなおすから、体起こして」
べし、と斑目の綺麗にハゲあがった頭を叩く。相手はまだ青い顔色で、こっちを睨み殺せそうな目のまま、それでもむっくり起き上がった。
手早く斑目の上体に巻かれた包帯を外し、傷の上に貼られた薬布を取替えた。
そうして改めてその図体を眺めて、へぇ、と密かに感心する。
斑目は確か入隊して間もないはずだが、体だけは随分立派でがっしりしていて、筋肉の引き締まった胸板もかなり厚い。大口叩くだけの根拠は一応、あるわけだ。
「そのまま、動くんじゃないわよ」
「……あ? て、おい、何を」
釘を刺して、雪音は斑目に抱きつくような感じで包帯を巻き始めた。
「なっ、なんっ……!」
その態勢が斑目は予想外だったらしく、びくっとして身を引きかける。だが雪音は、ぐるりと一周した包帯をきつく引っ張った。
「動くなっつってんでしょうが! これ以上手間かけさせたら、薬使うわよ!」
「う、お……くっ」
怒鳴ると、斑目は戸惑った顔で大人しくなった。よしよし、最初からそうしてればいいのだ。
そうして包帯を巻きながら見るとはなしに見てると、斑目の体にはあちこちに傷跡があった。
ほとんど皮膚の色と同化するくらい古いものから、まだ生々しい肉色をしたもの、小さいものから大きなものまで、本当にたくさん。見る限り、死んでもおかしくないほどの重傷を負った事もあるようだ。
「……ちっ」
その痕をつくづくと観察して、雪音は思わず舌打ちしてしまった。
十一番隊は護廷十三隊の中でも、戦闘に特化した隊だ。戦闘においても最前線に立つことが多く、必然、怪我人や死人も他の隊より飛び抜けて多い。
だが連中は、傷つく事を恐れない。
たとえ敵が自分より強い存在だとしても、恐れるどころかむしろ嬉々として立ち向かい、己の体を省みることがない。
以前から喧嘩好きのチンピラ死神が集まる、と揶揄されていた隊は、しかしこのところ戦闘狂の病にでもかかったかのように、その無謀さに拍車をかけていた。
それはきっと、あの更木とかいう男が、隊長になった為だ。
「……ほんっと最悪だわ、更木隊長」
「……あ?」
ぼそっと呟いた言葉を聴きつけて、斑目が身じろぐ。
雪音は包帯の端を止め終え、寝台から離れながら、苛立った。
更木が隊長になったせいで、しなくてもいい大怪我をして危うく死に掛ける隊員が、以前より増えた。
現場の状況を聞けば聞くほど、何故そこで立ち向かっていくのか、勇退して命を拾う事をしないのかと腹が立つ。
「隊員の命を預かって指揮するのが隊長の役割でしょうに。
狂犬みたいに暴れるあんた達を止めるどころか、自分から率先して斬り合いに行くなんて、何考えてるの?
更木隊長なんて、ちょっとでも強い相手と見れば誰彼構わず喧嘩を売るし、隊員が怪我しようが何しようがお構いなし、最っ低じゃないの」
死神の職務は世界の均衡を保つ事で、戦いを楽しむ事じゃない。
いや、そんな建前より何より、無駄に命を危険に晒すことが許せない。
四番隊が一つしかない命を救うために日々、どれだけ心を砕いているか。どれだけ力を注いでも、命を救うことが出来なくて、無力感に叩きのめされる事も、知らずに。
「更木隊長は、人が死ぬ事なんて何とも思ってないのよね。何しろ前の隊長を、あんなに楽しそうに殺したんだから」
だが、雪音が言葉を紡げたのは、そこまでだった。
突然首にど、と重い衝撃が来て、視界がぶれた。
「ッ?!」
息が詰まる。一瞬目の前が白黒に明滅する。ぎりぎりと喉に食い込む感触に辛うじて目線を下げると、冷たいものが一瞬背筋を走った。
「…………」
斑目が、殺気に満ちた鋭い霊圧を発し、その目にぎらぎらと怒りを滾らせて、雪音の首を掴んでいた。
鞭のような指が気道を封じて、息が出来ない。受付での締め上げなど比べものにならない力だった。
空気を欲して、くは、と喘いだ雪音を眼前に引き寄せた斑目は、
「隊長を貶すんじゃねぇ」
地の底を這うような低い、低い声で恫喝した。
「俺の事をどう言おうが構わねぇが、隊長は別だ。
何も知らねぇ癖に、好き勝手な事言ってんじゃねぇよ、クソ女。殺すぞ」
さきほどまで口げんかをしていた時とは全く違う、本気の脅迫。
めりめりと軋む音が脳に響いた。このまま、首の骨を折られるかもしれない。きーんと耳鳴りがして、気が遠くなる。
「は……っ!」
辛うじて、締め付ける手に爪を立てると、斑目は一度きつく力を込めた後、ぶん、と振り放すように雪音を解放した。
「うっく、げほっ!」
乱暴に床へなげだされて、空気を貪った。そのまま激しく咳き込む。
そしてようやく呼吸を整えて首に触れると、食い込んでいた指の感触がまだはっきりとあった。自分では見えないがきっと、絞められた跡がくっきり残っているだろう。
本当に殺されるところだった、と思ったら、ぐらりとめまいがした。
「くっ……」
口からこぼれたよだれを拭いて顔を上げると、斑目は寝台に上体を起こして頭の後ろで手を組み、外に視線をやっていた。
こっちの事なんて知るか、とでも言いたげな冷たい横顔だ。一切を拒絶するその表情を見て、雪音は自分が失言をした事にようやく自覚した。
さっき言ったのは、全部本気の発言だ。
訂正しろと言われても、する気はない。
だがそれをよりによって、十一番隊の人間相手に言う事は無かったろう。自分の個人的な思い込みで更木隊長を批判したのも、まずかった。
「んっ……」
雪音は唾を飲み込み、立ち上がった。まだ少し乱れている呼吸を強いて抑えると、こちらを見ようともしない斑目に向かって、
「申し訳ありませんでした、斑目さん」
頭を下げて謝る。斑目は「あ?」と不機嫌そうな声を漏らした。
「……随分、素直に謝るじゃねぇか。大層な口利いても所詮四番隊だな、脅されてびびったのかよ、腑抜けが」
「違います」
あくまで四番隊を馬鹿にした口調にいらっとしたが、ここは下手に出なければ。雪音は頭を上げ、振り向いた斑目の目をまっすぐに見る。
「斑目さんは、更木隊長を尊敬しているんでしょう。
尊敬する人を悪し様に言われれば、腹が立つのは当然です。
あたしには更木隊長も十一番隊も理解できませんが、少なくとも、さっきのは失言でした。だから謝るんです。……申し訳ありませんでした」
「…………」
斑目は応とも否とも言わなかった。こちらも、まさかこんな言葉だけですぐ怒りが解けるなんて思ってなかったので、床に散らばった包帯や薬の瓶を無言で集めて仕舞い、もう一度頭を下げた。
そして背を向けて、部屋を出て行こうとした時、
「おい、待て」
不意に声がかけられる。振り返ると、寝台の上の斑目はじっとこちらを睨み付けて、すぐに視線を外した。
「首、冷やしとけ。悪かった」
「え」
ぶっきらぼうな調子だったので、言葉を理解するのが一瞬遅れた。
(謝られて、る?)
失言したのはこっちなのに。まだ熱い首に触れた雪音は、何となく気まずい思いで、
「いえ。どうも」
それだけ応えて、部屋を出た。戸を閉めてふう、とため息をつく。
十一番隊のあほめ。関わるとやっぱり、ろくな事にならない。
だが少なくとも今回は、斑目の怒りは理解出来た。
(あたしだって、烈様を貶されたらあれくらいキレるわ)
尊敬する人を馬鹿にされるのは、自分の事より腹が立つものだ。
いけ好かない、十一番隊の斑目一角。だが隊長を尊敬してるところや、乱暴はしてきたけど最後に謝ったところは、他の奴よりはマシ……な気がする。
だが何にしても、あんな奴の診療するなんて嫌だ。どう考えても、相性悪い。
今度は当番を他の人に代わってもらおう。そして退院するまで、関わらないようにしよう。
そう決意したら少し気が楽になった。ふうっと肩の力を抜いた雪音は、ようよう廊下を歩き出した。
しかしこの後、雪音は退院までの間、斑目の治療担当に任命される羽目に陥る。
気性の荒い斑目の相手が出来るのは他に居ないからと、よりにもよって、卯ノ花隊長直々の命令で。
「何であたしが、こんなあほの面倒みなきゃいけないのよ……」
「同感だクソ女、何で毎日朝晩、てめぇの根性ひんまがった面、拝まなきゃならねぇんだ」
……誰かこいつの舌引っこ抜いてくれ、マジで!