花のうへの露13

「さぁ、教えてもらおうか。てめぇらのどっちが、オレの目を盗んで、奥州で悪さをしてやがるのかをな」
 笑いの中に怒気を含んだ政宗の声を聞きながら、小十郎は小太刀を放った手を下ろした。襲撃者を追って分け入った山中、ようやく見つけたと思ったが、目の前には二人の不審者がいる。
 一人は雨の夜にあっても目をひく白銀の髪をした痩身の男。目撃者から聞いた風体に似ている、おそらくはこちらが村々を襲撃した男だろう。政宗もそれは分かっているので、男から目を離そうとしない。
 故に小十郎はもう一人を見据えた。今相手を殺そうとしていたそれは、闇の中に溶け入るような黒装束を身にまとっている。その手にした針のように細く、しかし鋭い殺気がなければ、うっかり見逃してしまいそうだ。
(……あいつは何者だ)
 男を殺そうとしていたのであれば、少なくとも仲間ではあるまい。その身のこなしからして、ただ者でもあるまい。
(黒装束の不審者)
 だが、そんな人物がつい先頃、伊達屋敷に現れているのを小十郎は知っている。浜が仄めかしたそれの正体も。
「……っ」
 手綱を握りしめ、小十郎は目をきつくした。自分の考え通りであって欲しくはない、そう願いながら。
「誰だっ……貴様はっ……」
 地面に膝をついた男が切れ切れに呻く。その身体にはそこかしこに針が突き刺さり、身動きがとれないらしい。だが、こちらへ向けた眼差しは怒りと殺気でぎらぎら輝き、全く戦意を失っていない。政宗はハッ、と鼻で笑って馬を下りた。足元でばしゃ、と泥水が跳ねる。
「そいつぁこっちの台詞だ。人の土地に入り込んで、勝手に派手なFightをやらかされちゃあ、良い迷惑なんでな」
 言いながら刀を抜き、顔の脇まで持ち上げて、構えた。同じように下馬した小十郎もまた、いつでも刀が抜けるように気を張る。その目は、政宗の背中に怒気の気配が高ぶるのをとらえていた。
「オレは奥州筆頭、伊達政宗だ。……名無しを斬るつもりはねぇ、いっぱしの男を気取るなら、あんたも名乗りを上げな。それからWar danceと洒落こもうじゃねぇか」
「黙れっ……失せろっ、貴様に名乗る名などないっ……!」
 対して痩身の男もまた怒気を発して叫んだ。ずず、と足を引きずり、強ばった腕をぎりぎりと持ち上げ、
「私が欲しいのはっ、貴様の首ではないっ! 私の邪魔をするな、消えろ、さもなくば貴様も斬る!」
「!」
 わめいた男の全身から赤黒い光が立ち上り、烈風のように吹きすさび、いや増す。今にも爆発しそうな気の固まりに、政宗と小十郎が身構えたその時、黒装束が動いた。
「シッ!」
 地面を蹴って一陣の風のように走り男へ迫りながら、気合いを込めて、手にした無数の針を放つ。小十郎の目にもとらえ損ねるほどの速さで、針は吸い込まれるように男に襲いかかり、
「うぅおおああああああっ!!」
 しかし獣のような咆吼をあげた男は全身から吹き出す気で、身体に刺さった針もろとも、それを全てはじき返した。自由を取り戻した身体を翻して、木に突き刺さった刀の柄を握り、
「刻まれろぉぉぉぉぉっ!!」
 渾身の怨念がこもった叫び声を叩きつけながら、刺さった木の幹ごと切り倒した。そして自由になった刀を、そのまま黒装束へ叩きつける。
「っ!!」
 とどめの一撃を入れるつもりだったのか、真っ向から男の間合いに飛び込んだ黒装束は、それをまともに食らった。神速でふるわれた刀は無数の光となって黒装束を切り刻み、空に弾き飛ばす。黒装束は抗する間もないまま、森の闇の中へ突っ込んで、そのまま奥に消え失せた。
「小十郎!」
 政宗は刀を抜いて痩身の男に向かって駆け出しながら、小十郎の名を呼んだ。
 ――そっちは任せた、正体を見極めろ。
 短い呼びかけに込められたその意図を即座に察し、
「御意!」
 小十郎は身を翻して森へと飛び込む。刀の鞘を払って、用心深く気配を探り進む。と、前方からばきっ、と枝の折れる音が聞こえた。
「!」
 ハッと構えると、しばしの間を置いて、黒装束が現れた。先ほどまでの敏捷な動きが嘘のようにその足取りは鈍く、刃に裂かれたか、衣服のあちこちが破け、その仮面にもひびが入っている。
「……」
 黒装束は小十郎の姿を認めたためか、僅かに口を動かした。しかし、絹糸のように降り続く雨にさえ紛れてしまうほどの小さな声で、小十郎の耳には届かない。
「……答えろ。てめぇは何者だ」
 油断無く構えながら、小十郎は静かに問うた。黒装束は答えない。肩で息をしながら、再びその手に針を生み出し、ぐっと腰を落とす。
(離れられたら、あの針にやられる。一気に懐に入らなきゃならねぇ)
 間合いを計りながら、じり、と踏み出す足先で、水を吸った土がじわりと染みる。しんしんと冷え込む空気に心さえ凍り付くように思いながら、小十郎はなおも問う。
「伊達屋敷に忍び込んだのは、てめぇなのか」
「……っ……」
 黒装束は答えない、しかし僅かにその気配が動揺した。それを認め、小十郎は息苦しさを覚えて歯を食いしばった。恐れながら、しかし半ば確信しながら、問う。
「信じたくねぇが、やはりてめぇは……おめぇの正体は……」
 だがその問いは最後まで発する事は出来なかった。
「!」
 不意に黒装束の姿がかき消える。小十郎は一瞬見失ったが、水の跳ねる音を聞きつけ、そちらへぱっと顔を向けた。黒装束は闇の中を縫うようにして小十郎の右手を駆け抜け、先ほどの場所に向かう。土をはね飛ばして疾走するその姿を認め、小十郎は咄嗟に足下の枝を拾い、
「せいっ!!」
 勢いよく投げつけた。それは風を切り闇を飛び抜け、
 ガッ!
 固い音を立て、過たず黒装束の足を打った。
「ぅあっ!!」
 悲鳴が上がり、体勢を崩した黒装束は勢い余って木の幹に激突した。衝撃で枝葉が揺れてたまった雨粒が降り注ぎ、ばらばらばらと音を立てる。それを頼りに駆け寄った小十郎は、木の根本に崩れ落ちた黒装束を見つけ、一瞬躊躇いに足を止めた。
「くっ……」
 だが、黒装束が枝をぶつけられた足――右足を引き寄せて呻くのを見て、頭の芯がすうと冷えるのを感じた。服の切れ目から、添え木を入れた包帯が巻かれているのが見えたのだ。
(……間違い、ねぇ)
 薄ら寒い確信を抱きながら小十郎は歩み寄り、黒装束の前に膝をついた。息を切らし、小十郎の接近を拒むように黒装束は針を持つ腕を振るう。しかし力ない攻撃をあっさり捕らえ、小十郎はゆっくりと左手を伸ばした。
 ひび割れた仮面をつかみ、指先に力を込めると、かちりと音がして外れる。全く模様のない黒の面の下から現れたのは――長いまつげに覆われた黒目がちの、小十郎の心をどうしようもなく揺さぶる、あの美しい瞳。
「――朝顔……なぜ、おめぇが……」
「は……旦那……バレちまった、ねぇ……」
 轟く思いで囁くと、黒装束――朝顔は青白い顔色で息を荒げながら、それでもいつものように柔らかく、笑ってみせたのだった。