異常の知らせを受けた小十郎は、すぐさま政宗へ報告にあがった。二人は机の上に地図を広げ、向かい合ってのぞき込む。
太い線で奥州のおおまかな地形が描かれた地図には朱のばつ印が描かれ、それは小さなものも含めて五つを数えた。小十郎が筆をひくと、政宗の眉間にしわが深く刻まれ、声に怒りが帯びた。
「小十郎、これで全部か」
同じく地図を見下ろし、小十郎も沈痛の面もちで頷く。
「はい。村が三つ、そして見廻り組が二組、全滅していたそうです。その中で北見の村の者がかろうじて獣道をたどって逃げ、ちょうど出くわした別の見廻り組に保護されました。その者に先ほど、詳しく話を聞きました」
「敵はどいつだ。葦名か、二階堂か、岩城か」
奥州統一にいたるまで、幾度となく戦した者共の名をあげたが、小十郎は首を横に振った。自身でも信じがたい思いで続ける。
「いえ、どれでもありませぬ……そもそも、村を襲ったのは軍ではなかったと申しておりました」
「あぁん?」
「襲撃者は、ただ一人。痩身の男のみであったそうです」
「……What?」
馬鹿な、と政宗が吐き出すようにいい、小十郎も同様の思いだった。
襲撃を受けた村は三つ、しかも僅かに一日、二日の間を置いて立て続けに襲われている。いくら小さな山村とは言え、三十四十人で構成されており、位置も離れている。それらを数日のうちに一人で全て滅ぼすなど、たやすい事ではない。
あまつさえ、その内の二つの村には、豊臣の残党に備えた伊達の見廻り組が駐留していた。手練れの者達で組織されていた武装集団を、複数相手にして全滅せしめるなど、たった一人でなし得ることか。
(だが、現実に事は起きてやがる)
小十郎は奥歯を噛みしめた。普通ならあり得ない事だが、たとえば政宗のように、文字通り一騎当千の武将であれば成せる仕業だ。襲撃者が何者かまではまだ分からないが、何にしても、ただ者でないことは確かである。
「小十郎。そいつの足取りは追えるか」
「ただいま、手の者をやって山狩りをしております。他の見廻り組には各地で守備を固め、異常があればすぐさま知らせるようにと伝えおきました」
「そいつのしっぽを掴んだら、すぐオレに知らせろ」
「政宗様」
静かに怒りを燃やす政宗を小十郎は案ずる。民を己の血肉がごとく大切に思っている政宗にしてみれば、為すすべもなく殺された民の無念に、腸が煮えくり返る思いだろう。政宗はぎり、と手を握りしめ、切り裂くように吐き捨てる。
「なめた真似しやがって。骨の髄まで後悔させてやる」
いきり立つ政宗とは反対に、小十郎はあくまでも冷静さを保った。地図を引き寄せて片づけながら、
「では、陣触れをいたしましょう。知らせが参りましたら、すぐ動き出せるように」
そう答えたが、政宗が言下に否定する。
「Wait、小十郎。敵は一人なんだろ。それならオレとお前だけで十分だ。徒党を組んでたった一人に群を成して押し寄せるなんざ、みっともねぇ」
「お言葉ですが、政宗様。いまだ敵の正体は知れておりませぬ。村人の話では一人であったということですが、その背後に大軍が控えていたら、どうなさるおつもりか」
目撃した者が嘘をついていると疑っているわけではないが、襲撃の混乱の最中、見落としがあったとも限らない。小十郎の慎重論に、しかし政宗は気楽に肩をすくめてみせた。
「それならそいつら諸共、ぶったぎってやるさ」
「なりませぬ。あなた様は奥州を背負って立つお方なのですぞ。怒りに駆られて無謀な真似をなさいますな」
「小十郎。止めても無駄だ」
政宗はしかし、ぴしゃりとはねつけた。腰にはいた刀の柄に手を起き、雷のひらめくような目でこちらを見据え、告げる。
「こいつはオレが始末をつける。竜の目が黒いうちは、誰であろうと見逃すつもりはねぇ」
「政宗様……」
これは説得など無理かもしれない。なかば諦めながらさらに言葉を重ねようとした小十郎だったが、その時ほんの僅かな違和感を覚えた。「!」考えるより先に身体が動いて、一足飛びに障子に飛びつき、勢いよく開く。
外はすでに夜となり、庭は闇の中で静寂に沈み込んでいる。空気は昼よりも湿り気を帯びてひんやりと頬を撫でた。小十郎は目を鋭くして素早く庭や廊下を見回したが、特に異変は見られない。
「どうした、小十郎」
不意の事に訝しみ、政宗が尋ねてくる。小十郎は障子を閉めて、部屋の中へ向き直った。
「……失礼致しました。なにか気配を感じたように思いましたもので」
「Fuh?」
政宗が顔をしかめて鼻を鳴らす。気にくわない、と言いたげな様子に、小十郎は頭を下げた。
「念のため、屋敷の中も見回らせましょう。何者かが潜んでおるやもしれませぬ」
敵はどこに潜んでいるのか分からないのだ。用心に用心を重ねて、悪い事はあるまい。今度は政宗も反対せず、
「あぁ。もしSpyを見つけたら、思いっきり締め上げてやれ」
不敵な笑みを浮かべて鷹揚に頷いた。
そうして、出陣の準備と屋敷内の探索で騒然とし始めて、しばらく後。
忙しく立ち働く小十郎のもとに思いもかけない知らせを持ってきたのは、女中頭の浜だった。
「小十郎様。お忙しいところ申し訳ありませぬ、急ぎお知らせしたき事がございます」
白髪で厳しい顔つきの浜は昔から、小十郎や政宗を陰日向と支えてきた忠義の者だ。当然信用も絶大なもので、小十郎がその呼びかけに否やを言ういわれはなかった。
「どうした、浜殿」
戦ごとの時に陳情してくるとは余程だろうと、愛馬を従者に手渡して向き直る。すると浜は声を潜めて、
「朝顔様が、屋敷のどこにもおいでにならないのです」
そう告げたのだ。
「……何だと!?」
背中に冷たいものが駆け抜け、つい声が張った。その声の大きさに自分で驚き、口を手でふさぐ小十郎。浜は落ち着いた様子で続ける。
「先ほど夕餉をお持ちしたのですが、部屋にいらっしゃらず、手分けをして皆で探したのですが、一向に見つかりませぬ。まさか屋敷の外に出られたのか、と先ほど
(まさか)
じわりとわき起こる疑念に、身体がこわばる。
「……門から出た者は居なかったのですが、当番を代わる際、庭で怪しげな者を見つけたそうです。思いの外身軽だった為、残念ながら塀を乗り越えるのを取り逃してしまった、との事ですが……」
『何者かが潜んでおるやもしれませぬ』
自身の言葉が蘇り、冷たい予感に鼓動が早まる。
「その曲者、黒装束に身を包んでおりました故、面相はしかと分からぬも、あれは確かに……女であった、と。そう申していたのです」
「……それが、朝顔だと言うのか」
努めて冷静に言ったつもりが、僅かに声が震える。その動揺に気づいているのか否か、浜は目を伏せて、
「分かりませぬ、ただ時が合いまする。真偽は不明ではありますが、ひとまず小十郎様のお耳に入れておかねばと思いまして」
淡々と告げる。
「…………」
小十郎は暫時、目を閉じた。
徳川のことで芽吹きつつあった疑惑の芽が、むくむくと大きくなっていく。喉の奥に何かが詰まるような息苦しさを覚えながら、小十郎はカッと目を開き、顔を殊更に引き締めた。
「分かった、浜殿。屋敷内の探索と警備をより一層、厳しくしておく事にする。報告ご苦労だった」
「はい。政宗様も小十郎様も、お気をつけ下さいませ」
ぴんと伸びた背筋を綺麗に折って頭を下げ、浜は屋敷に戻っていく。
それを見送った小十郎は、愛馬の首に触れ、眉間のしわを深くした。じっと屋根向こうの空を睨みつける。その脳裏に浮かぶのは、つい先頃、自分をからかって艶やかに笑う朝顔の姿。普段と何も変わりなく、笑っていたというのに。
(……朝顔、おめぇは何者だ。いったい、どこに消えた?)
重苦しい疑念を胸に抱いた小十郎に呼応するように、見上げた曇天からぽつりぽつりと雨が降り始めた。