花のうへの露6

 次の日から約束通り、小十郎は毎日朝顔のところへ来るようになった。そして半刻ほど、他愛のない雑談をしていくだけなのだが、やはり一人でいるよりは楽しくて、動けずくさくさした気分が上向いてくる。それ故に朝顔はいつしか、小十郎の訪問を心待ちにするようになっていた。
「邪魔するぞ、朝顔」
 その日も常と同じく、小十郎がやってきた。風通しに開けた障子から顔を出し、頭を軽く下げてから中に入る。帯に刺繍をしていた朝顔は針を止めて顔を上げた。
「あぁ、いらっしゃい、右目の旦那」
「具合はどうだ」
 腰をおろして開口一番そういうものだから、朝顔はつい笑ってしまう。毎日同じ事を尋ねられても、そうそう違う答えは出来ない。
「昨日の今日で、そうかわりゃしないよ、旦那。まぁ大分楽にはなってきたね」
「そうか、そうだな。今、義直に杖を作らせてる。後少しで出来上がるはずだから、それがあれば自分で出歩けるようになるだろう」
「そりゃありがたいね。そろそろ寝たきりにも飽きちまったよ」
 そう言いながら、朝顔は止めていた針を取り、縫い物を再開した。すっすっ、と迷いなく進む針に視線を注ぎ、小十郎がふっと表情を和らげる。
「しかしいつ見ても、あんたのは見事な細工だな。素人には見えねぇが、お針子でもやってたのか?」
「あぁ、やってた事もあるけど、元々針仕事が好きなんだよ。縫ってる間は頭がからっぽになって、心が落ち着くんだ」
「ほぉ……そういうもんか」
 そうだよ、と一つ頷く。縫い物は昔からの趣味で、暇さえあれば黙々と、誰に頼まれたわけでもなくやっていた。集中していれば時も忘れて熱中してしまうほどだから、今のように身動き叶わない時の暇つぶしにはちょうどいい。
「ここに来る前に、針子をやってたのか?」
「いいや。奥州の前は、三河で路銀稼ぎに、茶屋の手伝いをしてたよ。団子作りなんか教えてもらったりして、なかなか楽しかったね」
 刺し終わりに糸を歯で噛みきり、針山に針を戻す。刺繍の出来を確認した後、朝顔は、刺繍した服を入れた螺鈿らでん細工の箱の中にそれを重ね入れて、うーんと伸びをした。
「こいつはこれで仕舞い。今日の分は、もうなくなっちまったよ」
 これで、小十郎が帰った後の無聊を慰めるものが無くなってしまった。浜さんにもっと無いか聞いてみようかねぇ、と呟いたところで、小十郎がそれなら、と軽く身を乗り出す。
「少しばかり考えてみたんだが……あんた、ちょっと外に出てみねぇか?」
「え?」
 外に、と言われて心が動いたが、しかし朝顔の足はいまだ完治せず、自由に出歩けはしない。
「そりゃあ、閉じこもりっきりだし、外の空気も吸いたいけど」
「あんたの怪我の具合も良好なようだし、何だったら俺が里を案内してやろうと思ってな。何しろ、あんたはまだ奥州をほとんど見ちゃいねぇし、少しばかり気分転換にもなるだろう?」
「右目の旦那が、案内してくれるってのかい?」
 朝顔はおやまぁ、と思わず声を漏らした。このお武家様は、ずいぶんと砕けたお方だ。身分を思えば、朝顔の事などうっちゃっておいても構わないというのに、自ら案内役まで買ってでるとは。
(これが伊達の気風なのかね)
 この間来ていた部下四人も、「筆頭」と「片倉様」をたいそう尊敬していたが、お二方と一緒に酒盛りをした、相撲を取っただの、他の藩ではあまり無いような親密ぶりを語っていた。あれが本当なら、左馬助が言っていたように、伊達は身分の上下にさほど拘らない質なのだろう。
「派手な見所があるわけじゃねぇから、無理にとはいわねぇが」
 そういって苦笑する小十郎に、朝顔はいや嬉しいよ、と笑って頷いた。
「それならぜひ頼むよ、右目の旦那。庭の木の芽を数えるのにも飽きちまったからね」

 こうと決めれば、小十郎の手配は素早い。ちょっと待ってろ、と席を外してしばし後、なにやら気配がすると思ったら、庭先に馬をひいた文七郎が現れた。
「おや、文七じゃないか」
「どうも、姐さん。お元気そうで」
 へへ、と笑う文七郎。そこへ小十郎が戻ってきて、
「朝顔、あんたは馬に乗ってくれ。俺が手綱を引く。外は寒いから、これをまず着て……さて、御免」
 朝顔に綿入れを着せてしっかり防寒させると、そのままひょいと両腕に抱き上げた。
「あっ、旦那、重くないかい」
 不意の事に驚き、思わず声を上げる朝顔。最近すっかり食っちゃ寝だから、よけいな肉がついて重さが増してるんじゃなかろうか、と危惧したが、小十郎はどこ吹く風だ。
「牛に比べりゃ軽いもんだ、気にするな」
「……ちょいと、牛と女を比べるのはどうかと思うよ、旦那。だいたい、牛を持ち上げた事なんてあるのかい?」
 いくらなんでも、自分と比較するのに牛は極端に重すぎる。妙なたとえに苦笑すると、なくもねぇ、と言いながら小十郎は庭に降りた。砂利を踏みしめながら、
「この間、溝にはまった牛を持ち上げたな」
「えぇ?」
 冗談だろう、と思ったが小十郎の顔は真面目そのもので、嘘の様子は無い。しかし言われてみれば、自分の身体をしっかり支える小十郎の腕は、服越しでも分かるほど太くがっちりしていて、牛の一頭二頭くらいは簡単に持ち上げてしまいそうだ。納得して、朝顔は感嘆の声を漏らした。
「へえぇ、そうかい、そりゃすごい。右目の旦那は金太郎みたいだねぇ」
「金太郎?」
「だって、そんな大層な力持ちなんだ。きっとちいちゃい頃から、お山で熊と相撲の稽古をして鍛えたんだろう?」
「ぶっ」
 朝顔のたとえに、脇で聞いていた文七郎が吹き出した。金太郎と小十郎の取り合わせが余程おかしかったのか、口を押さえながら、ぶるぶる笑いを堪えている。
「……何を笑ってやがる」
 小十郎は朝顔を鞍の上におろしながら、文七郎を軽くにらみつけた。途端、文七郎はすいやせん! と慌てて背筋を伸ばし、
「ど、どうぞ、片倉様、お気をつけて」
 さっと手綱を差し出す。特別怒ったわけでもない小十郎は、それを受け取って鷹揚に頷き、
「そこいらを少し回ってくる。たぶん帰ってくる頃には身体が冷えるだろうから、葛湯の用意を浜殿に伝えておけ」
「はい!」
「よし。……それじゃあ行くか、朝顔」
 そういって静かに手綱を引き、先導し始めたのだった。