――メガロニア決勝後。退院した勇利と、久しぶりに買い物へ出かけた時の事。
「……あのぉ……すみません」
「ん?」
信号待ちをしていたら、横手から声をかけられる。シャルが振り返ると、そこにいたのは若い女性二人だった。
何かモジモジした様子で、えーどうしよ、違うんじゃない? そんな事ないよぉ、とお互いをつつき合っているので、
「……何か用、ですか?」
一応敬語を使って尋ねると、顔を見合わせた彼女たちは思い切ったように口を開いた。
「間違ってたらごめんなさい。でも、そっちの車椅子の人、もしかして元チャンプの勇利じゃないですか?」
問いかけと同時に視線が集まったのは、シャルが押す車椅子に乗った勇利その人だった。
街中に出るから、パーカーのフードをかぶって俯いていたのだが、それでもばれてしまうらしい。
ここはとぼけるべきでは、と慌てるこちらをよそに、
「…………ああ。そうだ」
ふっと顔を上げて、本人が肯定してしまう。
途端、キャーッ!! と甲高い悲鳴が上がった。何事かと信号待ちの人々が振り返る中、
「私たち、あなたの大ファンだったんですー!
もうメガロニア? 決勝戦? ギアレスで超びっくりしたけど、超かっこよくてー!!」
「KOの後、全然動かないから、あのまま死んじゃうじゃないかってぼろ泣きしてー! でもやだぁ、元気そうー! 車椅子って事はぁ、復帰まだまだですー!?」
矢継ぎ早に質問してきて、勇利にのしかからんばかりの勢いだ。
「ちょ、ちょっと、とりあえず端っこに……」
このままでは、横断の邪魔になる。
シャルが急いで車椅子を道の端へ寄せると、ついてきた彼女たちは興奮した様子で、
「こんなところで会えるなんて、ラッキーすぎない?
えーちょっと写真? とっていいです?」
「やだぁ、他にもファンの子いっぱいいるんですよぉ、あっサインくれますー!?」
こちらを押しのけるように詰め寄ってきたので、つい後ずさりしてしまった。
(す、すげぇ……ほんと勇利のファンって熱狂的だな)
人の事は言えないが、この勢いには負けそうだ。
勇利がこの状況を喜ぶとも思えないから、突き飛ばしてでも離すべきかと考えたが、
(……ちょっと触ったら怪我しそうだな)
彼女たちは、勢いこそ凄まじいが、見た目はごく普通の女性だ。
襟ぐりの大きく開いたレースのシャツ、可愛らしい花柄のスカートの裾をひらひらさせ、メイクばっちり、髪もきっちり巻いていて、爪の先はごてごてと飾りがつき、パステルカラーのバッグに色を合わせたハイヒールと、手抜きのない女っぷりだ。
下手に押しのけたら、自分の力では勢い余りそうだ……とためらっていたら、
「……悪いが、今の俺は一般人だ。写真もサインもしない」
勇利が静かに告げたので、嬌声がぴたりとやんだ。
二人の顔をそれぞれじっと見つめ、
「他のファンだと言う人たちにも、そう伝えてくれ。
……だが、ありがとう。その気持ちだけ受け取っておく」
穏やかに告げる。と、
「……ええ……」
「あ……はい……」
途端に彼女たちはぽわ、と赤面して黙り込んでしまった。
最初と同じように、いやそれよりずっと気恥ずかしそうに、顔を見合わせてモジモジする彼女たちの隙をついて、
「あ、そ、それじゃ、失礼します!」
はっとしたシャルは会釈して、勇利と共にその場を離脱した。
急いで横断歩道を渡り、目的の店への道を辿りながら、
(……ついてきてはいないな)
尾行もなさそうだと確信出来てから、ようやくスピードを落とす。
「済まないな、シャル。妙な騒ぎになって」
勇利が肩越しにこちらを見上げて言うので、慌てて首を振る。
「そ、そんなの勇利のせいじゃないだろ。自分が早く行けばよかったんだし……」
そういいながら、彼女たちの姿を思い返す。
勇利を、元キング・オブ・キングスを目の前にして、つい興奮してしまう気持ちはよく分かる。
もし自分があんな風にごく普通の暮らしをしていて、街中で不意に出くわしたら、きっと似たような反応をしてしまったに違いない。
(といっても……見た目がぜんぜん違うか)
ふと、自分の恰好を見下ろす。
ずっとシャツ、スウェット、それに勇利から貰ったパーカーという恰好。動きやすいし、介護をするのにもちょうどいいし、昔からこうだ。
着の身着のままという訳ではないにしろ、服の種類は全く変わらないままで、男っぽい身なりをしている自覚はある。
(昔は男のふりしてたし、この格好の方が気楽だから、ずっとこのままだけど……)
「……なぁ、勇利。勇利もやっぱり、ああいう格好の方が好き?」
「?」
突然の問いに、相手が訝し気に眉を上げる。
だから、とさっきの方向を漫然と示し、
「あの子たちみたいな……こう、女らしいというか、可愛いというか、そういう格好」
「……そうだったか?」
返ってきた反応は全く的外れだった。
どうやら勇利は相手の服装なんて、まるで気にしていなかったらしい。
「特に服装の好みはないが……女らしい、可愛らしい恰好をしてみたいのか、シャル」
「えっ。いや、そういう訳じゃ……」
「それならちょうどいい、これから店で見るか。俺は以前から、お前に服を贈ってみたかった」
「な、い、いいよそんなの、勿体ないじゃないか、どうせそんなに着ない……」
「そのパーカーはいつも着ているのにか?」
「うっ……いや、だってこれは……」
着心地がいいし、機能性抜群だし、……勇利から初めてもらった物で、着ていると何か守られているような、そんな感覚になる、し。
反論できずにいると、勇利がふっと笑って、自分で車輪を動かし始めた。
「いくぞ、シャル。まずはお前の買い物からだ」
「な、ゆ、勇利、本気か!?」
――そして、この一件で味をしめた勇利に後々、彼が満足するまで着せ替え人形をさせられる羽目に陥るのだが、それはまた別のお話。