ビフォー・アフター2

 ――メガロニア決勝後。退院した勇利と、久しぶりに買い物へ出かけた時の事。

「……あのぉ……すみません」
「ん?」
 信号待ちをしていたら、横手から声をかけられる。シャルが振り返ると、そこにいたのは若い女性二人だった。
 何かモジモジした様子で、えーどうしよ、違うんじゃない? そんな事ないよぉ、とお互いをつつき合っているので、
「……何か用、ですか?」
 一応敬語を使って尋ねると、顔を見合わせた彼女たちは思い切ったように口を開いた。
「間違ってたらごめんなさい。でも、そっちの車椅子の人、もしかして元チャンプの勇利じゃないですか?」
 問いかけと同時に視線が集まったのは、シャルが押す車椅子に乗った勇利その人だった。
 街中に出るから、パーカーのフードをかぶって俯いていたのだが、それでもばれてしまうらしい。
 ここはとぼけるべきでは、と慌てるこちらをよそに、
「…………ああ。そうだ」
 ふっと顔を上げて、本人が肯定してしまう。
 途端、キャーッ!! と甲高い悲鳴が上がった。何事かと信号待ちの人々が振り返る中、
「私たち、あなたの大ファンだったんですー!
 もうメガロニア? 決勝戦? ギアレスで超びっくりしたけど、超かっこよくてー!!」
「KOの後、全然動かないから、あのまま死んじゃうじゃないかってぼろ泣きしてー! でもやだぁ、元気そうー! 車椅子って事はぁ、復帰まだまだですー!?」
 矢継ぎ早に質問してきて、勇利にのしかからんばかりの勢いだ。
「ちょ、ちょっと、とりあえず端っこに……」
 このままでは、横断の邪魔になる。
 シャルが急いで車椅子を道の端へ寄せると、ついてきた彼女たちは興奮した様子で、
「こんなところで会えるなんて、ラッキーすぎない?
 えーちょっと写真? とっていいです?」
「やだぁ、他にもファンの子いっぱいいるんですよぉ、あっサインくれますー!?」
 こちらを押しのけるように詰め寄ってきたので、つい後ずさりしてしまった。
(す、すげぇ……ほんと勇利のファンって熱狂的だな)
 人の事は言えないが、この勢いには負けそうだ。
 勇利がこの状況を喜ぶとも思えないから、突き飛ばしてでも離すべきかと考えたが、
(……ちょっと触ったら怪我しそうだな)
 彼女たちは、勢いこそ凄まじいが、見た目はごく普通の女性だ。
 襟ぐりの大きく開いたレースのシャツ、可愛らしい花柄のスカートの裾をひらひらさせ、メイクばっちり、髪もきっちり巻いていて、爪の先はごてごてと飾りがつき、パステルカラーのバッグに色を合わせたハイヒールと、手抜きのない女っぷりだ。
 下手に押しのけたら、自分の力では勢い余りそうだ……とためらっていたら、
「……悪いが、今の俺は一般人だ。写真もサインもしない」
 勇利が静かに告げたので、嬌声がぴたりとやんだ。
 二人の顔をそれぞれじっと見つめ、
「他のファンだと言う人たちにも、そう伝えてくれ。
 ……だが、ありがとう。その気持ちだけ受け取っておく」
 穏やかに告げる。と、
「……ええ……」
「あ……はい……」
 途端に彼女たちはぽわ、と赤面して黙り込んでしまった。
 最初と同じように、いやそれよりずっと気恥ずかしそうに、顔を見合わせてモジモジする彼女たちの隙をついて、
「あ、そ、それじゃ、失礼します!」
 はっとしたシャルは会釈して、勇利と共にその場を離脱した。
 急いで横断歩道を渡り、目的の店への道を辿りながら、
(……ついてきてはいないな)
 尾行もなさそうだと確信出来てから、ようやくスピードを落とす。
「済まないな、シャル。妙な騒ぎになって」
 勇利が肩越しにこちらを見上げて言うので、慌てて首を振る。
「そ、そんなの勇利のせいじゃないだろ。自分が早く行けばよかったんだし……」
 そういいながら、彼女たちの姿を思い返す。
 勇利を、元キング・オブ・キングスを目の前にして、つい興奮してしまう気持ちはよく分かる。
 もし自分があんな風にごく普通の暮らしをしていて、街中で不意に出くわしたら、きっと似たような反応をしてしまったに違いない。
(といっても……見た目がぜんぜん違うか)
 ふと、自分の恰好を見下ろす。
 ずっとシャツ、スウェット、それに勇利から貰ったパーカーという恰好。動きやすいし、介護をするのにもちょうどいいし、昔からこうだ。
 着の身着のままという訳ではないにしろ、服の種類は全く変わらないままで、男っぽい身なりをしている自覚はある。
(昔は男のふりしてたし、この格好の方が気楽だから、ずっとこのままだけど……)
「……なぁ、勇利。勇利もやっぱり、ああいう格好の方が好き?」
「?」
 突然の問いに、相手が訝し気に眉を上げる。
 だから、とさっきの方向を漫然と示し、
「あの子たちみたいな……こう、女らしいというか、可愛いというか、そういう格好」
「……そうだったか?」
 返ってきた反応は全く的外れだった。
 どうやら勇利は相手の服装なんて、まるで気にしていなかったらしい。
「特に服装の好みはないが……女らしい、可愛らしい恰好をしてみたいのか、シャル」
「えっ。いや、そういう訳じゃ……」
「それならちょうどいい、これから店で見るか。俺は以前から、お前に服を贈ってみたかった」
「な、い、いいよそんなの、勿体ないじゃないか、どうせそんなに着ない……」
「そのパーカーはいつも着ているのにか?」
「うっ……いや、だってこれは……」
 着心地がいいし、機能性抜群だし、……勇利から初めてもらった物で、着ていると何か守られているような、そんな感覚になる、し。
 反論できずにいると、勇利がふっと笑って、自分で車輪を動かし始めた。
「いくぞ、シャル。まずはお前の買い物からだ」
「な、ゆ、勇利、本気か!?」

 ――そして、この一件で味をしめた勇利に後々、彼が満足するまで着せ替え人形をさせられる羽目に陥るのだが、それはまた別のお話。