my first star

 幼いころ、星をねだった事がある。

『おにいさま。あのほし、ゆきこにちょうだい』
 そういって指さしたのは、クリスマスツリーの頂で輝く星だった。私の指先を辿ってそれを見上げた兄は、あれかい? と困った顔になった。
『ゆき子がほしいなら、取ってあげたいけど……ボクにはちょっとムリだな』
 難色を示したのも当然だろう。その時の兄はまだ小学生で、天井につくほど大きなツリーの天辺にある星なんて、取れるはずもなかった。
『……よし、ちょっと待ってろ。いまお兄様が取ってやるからな』
 けれど兄は、しばし考え込んだ後、椅子を重ね、つま先立ちになって、頂へ近づいた。
 まだ背も伸びていない子どもにとってツリーは高すぎ、星は空の彼方のように遠かっただろうに、
『お、おにいさま、だいじょうぶ?』
『う……も、もうすこ、し……!』
 はらはらする私の前で、不安定な椅子の上で器用にバランスを取りながら、兄は懸命に手を伸ばしてその指先を星にかけ――
『取っ……うわっ!!?!』
 その手中に収めた瞬間、椅子が崩れた。
『きゃあ!』
 落ちる、と思ったらぞっとして、私は悲鳴を上げて顔を手で覆った。
 どん、と重たい振動が床から伝わり――けれど悲鳴の代わりに、
『何をしてるんだ樹生、危ないじゃないか!』
 叱責が耳に飛び込んできたので、びくっと肩を震わせてしまった。
 顔を上げれば、落ちた兄を腕の中に受け止めた父の姿が目に映った。
『あんなことをするなんて、怪我をしたらどうするんだ!』
 普段穏やかな父が、血相を変えて叱りつけるものだから、その剣幕に驚いて硬直する。床に下ろされた兄は、
『ごめんなさい、お父様。ちょっと上の方を見てみたかったんだ』
 うなだれて謝罪を口にしたので、私は泣きそうになってしまった。
(ちがうわ、おとうさま。おにいさまは、わたしのほしをとろうとして)
 咄嗟に口を開きかけたのだけれど、兄がぎゅっと手を握ってきたから、言葉は遮られた。
 はっとして見下ろせば、私の手には、ねだった星がおさまっている。
 がみがみと叱る父に謝りながら、私と目を合わせた兄は、
(ひみつだよ、ゆき子)
 というように、唇に人差し指を当てる。その表情がとても優しかったから、私は言葉をつまらせ、なにも言えなくなって――

「……あら」
 クリスマスツリーの横を通り過ぎようとした時、ヒールに何かが当たったので見下ろすと、そこには星が落ちていた。
 拾い上げれば、それはツリーに飾るオーナメントだ。
 床に落ちていたのは飾りつけの時、差し込みが甘かったからだろうか。
(これもずいぶん古ぼけたものだわ)
 毎年白都家に飾られるクリスマスツリーの頂で輝くそれは、近くで見ると年月を経ているのが分かる。
 透かしの入った精緻な作りは変わりないが、きらきらと輝いて美しかった金は色あせ、かつての輝きを失っていた。
(昔、これが欲しいとねだったわね)
 ふと思い出したのは、幼いころの記憶。
 あの時、なぜこの星を願ったのかは思い出せない。
 子どもの事だから、美しいものを単純に欲しいと思ったのか。あるいは、一番上にあるからこそ手に入れたいと思ったのか。
(どちらにしても、わがままな子どもだわ)
 くすっと、小さな笑いを漏らした時、
「ゆき子、サチオ君たちへのプレゼント持ってきたぞ」
 箱をいくつも抱えた兄が部屋に入ってきた。よいしょ、とツリーの下に置き、
「サンタなんているわけないだろと生意気な事言ってたが、寝顔は可愛いものだな。明日これを見たらきっと喜ぶぞ」
 ぽん、と箱に手を置く。
 その穏やかな横顔は、かつて自分にも向けてくれていた兄の優しさを思い起こさせる。その姿が記憶のそれとだぶり、不意に胸が締め付けられた。
 ――私は何年、この顔を見逃してきたのだろう。
「お兄様。一足先に、プレゼントはいかがですか」
 気づいた時、兄に歩み寄って膝をつき、手中のそれ――星のオーナメントを差し出していた。
 こちらへ顔を向けた兄は目を瞬き、それから口の端を上げる。
「星の贈り物か。いいのか、ゆき子? それはお前が欲しいんじゃないのか」
「いいんです。私はもう持っていますから」
 そうこたえて、相手の胸ポケットに星を差し込む。兄はそれに触れると、大事そうに撫で、
「……ありがとう、ゆき子。何よりの贈り物だな」
 噛み締めるように言って、にっこり顔を綻ばせた。
 眩しいほどに優しい笑みにつられてゆき子もまた笑い返した。そして、胸中でひそかに語りかける。

 ――ああ、やっぱりあなたは笑顔が一番似合うわ、お兄様わたしのいちばんぼし