we were born to die

 ……あぁん? ジョーに何かひとこと言えって?
 何だサチオ、録音なんてして大げさな……。
 正面から言えない事もあるだろうって? よせよ、今更改まってあいつに伝える事なんて、ありゃしねぇよ。
 …………ああ分かった分かった、そう詰め寄るんじゃねぇ。
 そりゃな、あいつには色々借りがあるさ。
 最初に会った時は、言っちゃなんだが、良いカモを見つけた、ってくらいだったけどな。
 ひでぇ? ああ、確かにひでぇな。
 昔の俺は心底ろくでもない、酒浸りのギャンブル狂いだ。
 借金で首がどうにも回らなくなった時、あの藤巻が、八百長試合の話を持ちかけてきてな。
 腐ってもこの南部贋作、メガロボクスの目利きは衰えちゃいねぇ。いや、ま、ジョーに行きつくまでは、なかなか苦労したが。
 とにかく、ストリートファイトで相手をのしたあいつのパンチを見た時、ぴんと来たのよ。
 こいつはこんな路上で殴り合いするよか、リングに上がらせた方が金になる……とと、モノになるってよ。
 ……だからそう責めるなって。
 あいつはひねくれちゃいるが、根っこは素直な奴だ。始めこそ反発して言うこと聞かなかったが、ちょいと薬をきかせたらころっと参っちまって、俺も多少、良心の呵責は感じたさ。
 そっからは持ちつ持たれつ、ビジネスライクな関係でうまい事やってたが……そのうちあいつ、試合が終わるたびに飛び出していって、怪我するわ、バイクもぶっ壊すようになりやがった。
 強い奴とやりたい、八百長試合なんてまっぴらだと怒鳴りちらしても、最後は黙って従ってたが、ありゃあ相当たまってたんだろうな。
 俺もそれは分かっちゃいたが、ID無しと借金持ちで他に選ぶ道なんざ無かった。今思い返せば、あいつはいつも我慢してる顔してたな……。
 ま、結局はその反動で、メガロニアに出たい、チャンピオンと闘りたいなんて大それたこと抜かしたんだろうがな。あれには俺も参っちまって……。
 ん? 年よりは話が長い? この野郎、誰が年寄りだ! 俺ぁまだじじいじゃねぇ!
 ジョーに一言……、……まぁ、色々あったが、俺はあいつに救われたようなもんだと思ってる。
 ジョーが相棒じゃなけりゃ、俺は地下で飲んだくれて借金地獄から這い上がれもせず、最後は体をバラバラにされて売っ払われてただろうよ。
 だから、なんだ。どうしても何か伝えるってんなら……感謝してるぜ、ジョー。これだけだ。
 そら、しまいだしまい! 俺は畑見にいかなきゃなんねぇんだ、そこどけ!

 んん? ジョーに言いたい事はないかって?
 何だ、お前さんが来たからには、ギアの話が聞きたいのかと思ったけどな。
 しかも音を録るのか。そんなたいそうな語りは出来ねぇが、いいのかい。
 ……そうさな、ジョーか。
 ま、ここに来た当初は典型的な、世を拗ねた男って感じだったな。
 ああいう奴はどこにでもいる。
 自分が何をしてるのか、何をしたいのかも分からないまま、燻って鬱々としてる若者って奴はな。よくある話さ。
 ただまぁ、他と違うところがあるとすりゃ、ボクサーとしちゃ良い腕してたってところか。
 商売がら、色んなボクサーを見てきたが、あいつは最初っから強かった。
 試合に出りゃ、カモが来たと息巻いてる奴の鼻っ柱を折って、あっという間にマットに沈めちまう。
 あんまり強すぎるんで、途中から負け試合を仕組まれるようになっちまったが、俺はこれこそ、本物のボクサーって奴なんじゃないかと思ったもんさ……こういう奴が落ちぶれていくのは見たくない、ともな。
 それがどうしたことか。
 ある日いきなり公式戦に殴りこんで、あれよあれよという間にトップランクの仲間入り。
 いや、あれはすかっとしたなぁ。
 そいつぁ、傍で見てたお前さんに言うまでもねぇだろうがよ?
 何か色々ごたごたもあったみてぇだが、最終的にはメガロニアでチャンプを下して、トップにまで上り詰めた。
 あいつは本物のボクサーだったと、俺は今でも思ってる。
 またああいう、思わず手に汗握るような、熱い試合を見せてくれねぇもんかと思ってるよ。ま、そいつぁ本人が決める事だがね。
 ああ、言いたい事を言うんだったか?
 そうさな……前までなら、バイクをもっと大事に扱えと説教するところだが、無茶しなくなって、メンテも自分でやるようになったしな。
 ……特に何もねぇな。またいつでもきな、と伝えておいてくれればいいさ。

 ジョー兄ぃはおれ達のヒーローだよ! なっ、サンタ!
 そうだな。おかげでこうやって食いっぱぐれずに済んでるしな。
 それだけじゃなくてだよ。だって最初に会った時も、サチオを助けてくれて、かっこよかったじゃないか。
 まあな……あれにはサチオの方が参ってたよな? あいつに会いにいくってきかなくて。
(参ってねぇよ! あれはジョーがメガロニアの事しゃべってたから気になっただけだ!)
 でもその後、一人でも見に行ってたよな、サチオ。
 雨降ってる時もいつの間にかいなくなっててさ。
(そ、それは……)
 ……そういやおれ、あの時ちょっと悔しかったんだよな。
(え?)
 悔しいって何が??
 ……サチオが白都にこだわってるのは知ってたのに、助けられなかった。
 おれはリーダーだっていばってたけど、子どもだ。出来る事には限りがある。それがいつも悔しくてさ。
 だから一時、ジョーにやきもち焼いた事もあったんだぜ。
 えっ、そうだったんだ。
(知らなかった……)
 ま、こいつは信頼しても大丈夫な奴と見極めてからは、メガロニアのてっぺんとれよって応援してたよ。それで本当にとっちまうんだから、ジョーは大した奴だ。
 サチオも、おれ達も、みんなジョー兄ぃにたすけてもらったよな。
 赤玉なんかより、ここの真っ赤なトマトの方がだんぜん美味いってこと教えてくれたおっちゃんも、ジョー兄ぃも、みんなみんな、大好きだ!
 おいボンジリ、お前も何か一言……あっ、それ今日の夕飯のおかず! 全部食う奴があるかよ!
 だって、美味しいから……。

 ジョーに一言。うーん……難しいな。
 こう……一言では言い表せないものがある。少し長くなっても大丈夫か? そうか、ありがとう。
 俺があいつを初めて見たのは、トーナメント戦で注目選手が出てきた、と騒がれていた時だった。
 最下位から異例のスピードで駆け上がっているというから、一体どんな奴かと試合を見たんだが……あの時は本当に驚いたよ。
 ジョーにじゃない。そのセコンドに、南部さんがついてたからだ。
 ……気を遣わないでくれ、話したい気分なんだ。大丈夫。
 きみにもジョーにも、ちゃんと話してなかったな。
 俺は昔、南部さんにメガロボクスを一から叩きこんでもらった。
 他に家族もいなかった俺にとって、あの人はボクシングの師であると同時に、親父みたいなものでね。
 金がないと言ったら、自分だってそんなに裕福なわけじゃないのに金を貸してくれたり。
 美味い飯を作ってくれて、それを食いながら、南部さんの現役時代の話を聞いたり。
 赤の他人なのに、実の家族みたいで、本当に、とても大事な人だった。
 だから、予備役につかなければならないと分かった時、身を切られるような思いがしたよ。
 公式戦のランキングも順調に上がっていて、これからという時だったから、あの人のがっかりする顔は見たくなかった。
 でも、南部さんは……結局行くとなって、それでもぐずぐずしていた俺に、南部さんはあの人らしいお守りをくれて、笑顔で見送ってくれた。
 それが、嬉しかった。だから俺は、必ずあの人のところへ戻ると心に決めたんだ。
 ……だが、運命のすれ違い、とでも言うのか。
 俺が戦地から戻ってようやく会いに行った時、あの人はもうどこかへ消えていた。
 公式選手は俺しかいなかったクラブを、一人で守っていくのには苦労しただろう。
 しかも一度は俺が死んだと誤報が流れたんだ。諦めて手放すのもやむを得ない。
 だからそれはもう仕方ない事だと、最後には納得した。
 納得して、心の奥にしまい込んでいたから……セコンドの南部さんを見た時は、本当に驚いたんだ。
 当時、これ以上メガロボクスを続ければ、命に関わると医者に警告されていた。
 俺は引き際を探していた。
 だからもう全てを終わりにしよう、その引導を南部さんの教え子に渡してもらえて、ランクをお返しに引き継げるのなら、恩返しになるんじゃないかと思った。
 だが、実際会ったらそんなきれいごと、吹き飛んでしまってね……そのあたりの醜態は、見ただろう?
 ……ありがとう。きみは優しいな。
 とにかく……すまない、本当に長々と回り道をしているな。
 俺はあの時、自分を見失っていた。
 どうしようもない事だったのに、それでも南部さんを恨んでしまう自分を、たたき壊してやりたかった。
 だがジョーは、俺と正面から向き合って、ボロボロになるまで闘ってくれた。
 俺は、あいつに感謝している。
 ジョーが俺と闘ってくれたおかげで、今の俺がいる。
 あいつはもうリングから下りてしまったが、俺はいつかまたカムバックしてくれないかと思っているよ。
 なに、足を失った俺でも出来たんだ。弟弟子に出来ないなんて理屈あるか?
 俺は今でもその日を、ひそかに楽しみにしているよ、ジョー。

 ジョーに一言……一言か。
 ……いや、そうだな。面と向かって改まると、あいつはそんな話は良いといなしてしまうからな。こういう時こそ、伝えるチャンスだろう。
 何をだって? それはもちろん……トーナメント不戦敗の謝罪さ。
 ……怖い顔するなよ。分かってる。あの場には君もいたからな、悔しさは同じだろう。
 言い訳をするのは、謝罪の意味がないかもしれないが。俺は俺であの時、だいぶ追い詰められていたんだ。
 ゆき子との確執、白都コンツェルン内での派閥争い、勇利の一体型ギアに対抗するためのAIギア開発……思うに、ストレスが多すぎた。
 今あの頃の記録を見返すと、我ながら恐ろしい顔をしていると思うよ。まるで人が違ったようで、自分とは思えない有り様だ。
 いや、だから勘弁してくれ、なんて言うつもりはない。
 ジョーがどれほどメガロニアに命を賭けてきたか、どれほど勇利との闘いを望んでいたかは、試合を見れば分かる。
 メガロニアを観戦していた時は、勇利の容体を気にかけていたが、一方で、ジョーが決勝まで来ることができて良かったと、安心もした。
 ジョーが、俺を完膚なきまでに叩きのめした男が、頂まで勝ち上がって、勇利と闘った。
 こういってはなんだが、俺の代わりに勇利と闘ってくれたようなものだ、と思いもするのさ。
 ……ACEは、人工知能搭載ギアは、俺の全てだった。
 俺が持てる技術をあますところなく注ぎ込んだACE、その有用性をメガロニアで、一体型ギアに勝つことで証明したかった。
 それはすなわち、俺自身の価値を証明する事に他ならない。
 俺は認められたかったんだ。一度のみならず二度までも、俺を否定した白都に。
 どうだ、これがお前たちが切り捨てた白都樹生の実力だ、と。
 お前らはこの俺を認めなかった事を悔やみ、嘆き、謝罪すべきだと。
 ……本気でそう思っていた。
 だがその思い込みは、ジョーとの試合で木っ端みじんさ。
 あの時、俺はACEに逆らって、自分の判断でフィニッシュブローを放った。
 ジョーにKOされた瞬間が、負けじゃない。
 自分自身でACEを否定した事が、俺の敗北だったんだ。
 俺はずっと、俺と闘っていた。敵は俺自身だった。
 それを気づかせてくれたジョーに、いつかきちんと謝りたいと思っていた。だから、機会を与えてもらえて有難いよ。
 ジョー。あの時は済まなかった。
 許してほしいとは言わない。
 ……ただ俺は、君に敬意を表する。
 チャンピオン、ギアレス・ジョー。最後まで、君の闘いは見事だった。

 ……私が、あの人に?
 それは困ったわね。言う事なんて特に浮かばないわ。
 私のコメントは録る必要ないんじゃないかしら、サチオ君。
 ……駄目? 皆に貰って回っているの?
 そう。でも私には本当に、何もないわ。
 だって個人的に話したのは数えるほどよ。それも良い印象ではないわ。
 最初はバイクにひかれそうになるし、次はセレモニーに突っ込んでくるし。
 良い印象なんて、持てるはずもないでしょう。
 え? 聞きたいこと? ……なぜ彼にIDカードを返したのか、ですって?
 それは、必要がなくなったからよ。
 …………ええ。その気になれば、偽IDの事実を公表して、ジョーの選手登録を抹消する事も出来た。
 そうすれば勇利はいまだチャンピオンのまま、リングで闘い続けていたでしょうね。
 ……。
 でも……もし、そうなっていたとしたら。きっといずれ、不幸な結末になっていたと思うわ。
 勇利の現状を思えば、対外的には十分不幸なのでしょうね。
 何しろリングを強制的に下ろされた上、車いす生活ですもの。
 メガロボクスに全てを賭けていた男の末路としては、悲劇に他ならないでしょう。
 ……でも私には、そう思えないの。
 勇利が……いついかなる時も私の願いに応え、一体型ギアの手術やリハビリに耐え、過酷なトレーニングを積み、勝利し続けて頂点まで上り詰めた勇利が、あの時初めて、私を拒否した。
 ギアを外す危険性も、十分理解していたはずなのに。
 そんな事をさせるくらいなら、決勝戦は中止すると告げた私を、駄目だと強く制止してまで、逆らった。
 当時はショックで、何も考えられなくなったわ。
 なぜそこまでしてギアレス・ジョーとの闘いに、生身のボクシングにこだわるのか分からなかった。
 それは今もきっと、理解しきれていないけれど。
 ……でも、勇利はあの時初めて、自分の願いを口にした。
 自分のわがままを、命をかけてまで貫き通したのは、それだけの価値があると心底思ったから、なのでしょう。
 だからあの時私に出来た事はせいぜい、ジョーにIDカードを返す事だけ。
 勇利の邪魔をしないで、遠くから勝利を祈る事しか、出来なかったのよ。
 ……ジョーに伝えたい事なんてないと言ったけど、一つだけ思いついたわ、サチオ君。録音したデータは、これだけ渡してちょうだい。
 ありがとう、ギアレス・ジョー。勇利の願いを叶えてくれた事に、心から感謝します。

 ジョーにメッセージか。
 ……参ったな。こういうのは苦手だ。
 俺が最後? ……そうなのか。責任重大だな。ますます荷が重い。
 ………………。
 ジョーへ伝えるべき事はリングで語った。
 今はもう、何もない。他愛ない話しか出てこないし、あいつもきっとそうだと思う。
 ……そこを何とか、と言われてもな。
 ………………。
 ……俺は、あいつがどんな思いで、どんな風にメガロニアのリングまで這い上がってきたのか、全ては知らない。
 だがきっと、何度打ちのめされても諦めず、立ちあがって抗うその姿に皆が引き込まれ、やがて希望を見いだすような、そんな試合をしてきたのだろう、と思う。
 ジョーは前だけを見ていた。頂点だけを目指していた。
 それは俺も同じだ。
 だが俺は、ジョーのように出来なかった。
 俺は白都の全面的なバックアップを受けていた。俺の後ろには、自分でも知らない多くの人間がいた。
 彼らは皆、一人の男をチャンプに押し上げるまで、並々ならぬ努力を重ねて、成果に結び付けてきたのだろう。
 それは理解していたが、俺は自分とだけ対話し続け、周りに向き合ってこなかった。
 以前はそれでいいと思っていた。俺は結果さえ出せばいい、それだけが俺の役割なのだと思っていた。
 ……今は、本当にそれでよかったのかと、思う時がある。
 だが、もしやり直せたとしても、俺はきっと同じ道をたどるだろう。
 俺はそういう形でしか、闘えなかった。その方法しか選べなかった。
 だから……そうだな。
 自分と同じような道を、違う形で進み続けたあいつに、俺は憧れているのかもしれない。
 なりふり構わず生身で駆けあがってきたジョーが、あいつの周りに集まった皆と共に走り続ける姿を、今はとても眩しく思う。
 ……俺も、ジョーと一緒に走っている?
 …………そうか。
 俺もいつの間にか、そうなっているのか。
 ……上手く伝えられなくて済まない、ジョー。だがきっと、お前は分かってくれるだろう。

 俺はお前に出会えてよかった。
 俺たちはお前に出会えてよかった。
 俺たちと出会ってくれて、本当にありがとう――ジョー。

 急に買い出しを頼まれて、こんなのバイクに積めるかよと、慣れないトラックで街とジムの往路を辿る。
 やっとのことで帰宅したのは、夕飯時も過ぎたころだ。
「サチオ、おっさん、帰ったぜ! ……なんだ、いねぇのかよ」
 タイヤや灯油といった大物は荷台に置いたまま、数日分の食料を抱えて扉をくぐったが、中は真っ暗だ。
 まさかもう寝てるわけもないし、外出予定とも聞いていない。
 何やってんだよ、と荷物を片手に抱え直し、壁を探ってスイッチを入れる。
 ぱっと視界が急に明るくなって、目が眩んだその一瞬、
「……ハッピーバースデー、ジョー!!」
「!?」
 ぱぱぱぱぱん!! と連続した破裂音と人々の声に耳を貫かれ、ぎょっとして後ずさった。目を瞬きながら、
「な、なんだ……?」
 困惑の声を上げると、ぱたぱたと軽い足音が駆け寄ってきて、
「ジョー、誕生日おめでとう! へへっ、サプライズ成功だな!!」
 ようやく慣れた視界に映ったのは、満面の笑みでこちらを見上げるサチオの姿だ。
 まだ面食らっているジョーが周囲を見渡すと、果たして――ジムの中は一周年記念パーティーの時のように派手な飾りで彩られ、ご丁寧に「JOE HAPPY BIRTHDAY!」と書かれた横断幕まで張り巡らされている。
 しかも、これだけの気配をなぜ感じなかったのかと思うくらいの人々が皆、クラッカーを手に、ニコニコ顔でこちらを見ていたので、肩の力が抜けた。
「誕生日……って、俺のか? 今日、だったか」
「そうだよ! 自分で言ってたの、忘れてたのかよ」
 サチオに言われて、忘れていたと素直にうなずくしかない。
 何かの折にそんな話をした気もする。
 しかし、そもそもこの日付が本当に自分の誕生日か確信を持てない。
 だからこれまで、誰に祝ってもらうでもなく、いつものように過ぎ去っていく、ただの日付けでしかなかった。
「ジョーをびっくりさせようって、皆でずっと計画練ってたんだぜ。俺が作戦リーダーだったから、全然気づかなかっただろ、ジョー!」
「……ああ。まあ、そうだな」
 そう言われてみればここ数日、妙にこそこそ動き回っていたのは気づいていたので、半ばバレているのだが。
 それがまさか、自分へのサプライズパーティーとは思わなかったから、結果的に成功と言えるだろう。
「ジョー、おめでとう!」
「これでまた一つ年食ったわけだ。今年はちったぁ大人になれよ」
「ほら、こっちケーキ用意してあるんだ。皆で作ったんだぜ!」
 アラガキに荷物を取り上げられ、南部のからかいを浴び、サチオに手を取られて、テーブルまで引っ張って行かれる。
 どすん、と椅子に座らされた前には、テーブル一杯を占める大きなケーキが、何本も刺さったローソクに照らし出されていた。
 いかにも手作りといった風情で、デコレーションはごちゃごちゃしているし、生クリームの飾りも形がバラバラ。
 プレートに書かれた「ジョー おたんじょうび おめでとう」という文字はみみずがのったくったようで読みづらい。
 だがその分、彼らがどれほど苦心惨憺してこれを作ったのかが目に見えるようで、ジョーは自然と頬が緩んでしまった。
(こんな甘ったるそうなもん、食えねえよ)
 照れ隠しにそう言おうとしたら、
「ハッピバースデートゥーユー♪」
「ハッピバースデー、トゥーユー!」
「っ!?」
 いきなり大合唱が始まったので、またも度肝を抜かれてしまった。あっけにとられる彼に、周囲の皆は手を叩きながら楽しげに歌い、
「ハッピバースデー、ディア、ジョー♪」
「ハッピバースデートゥーユー……ほら、ジョー! 火消して!」
「お、おう……」
 サチオに促され、そういうものかと狐につままれた気分で、ふーっと息を吹き掛けた。
 どうやら彼の年の数だけあるらしいローソクを消すのになかなか苦労したが、最後の一本が消えると、また拍手が巻き起こる。
「ジョー、誕生日おめでとう。これはささやかながらのプレゼントだ。……ゆき子と連名のな」
 拍手を終えた樹生がすっと近づいてきて、なにやら高級そうなワインを差し出してくる。かと思えば、
「実用一点張りだがな、俺からは割引券だ。今度持ち込むときに出しな。勉強してやるからよ」
 虻八が笑いながら、マーク入りの紙束を渡してきた。それを契機に、
「ジョー兄ぃ、これおれたちから! マフラー皆で編んだんだぜ!」
「こいつは俺からだ、ジョー。今度晩酌に付き合ってくれよ」
「俺はこれだ。ゴーグルが古びているようだったから、新しいものをと思ってな。気に入ると良いんだが」
「……こういう事は不得手なんだが……馴染みの職人に作ってもらった靴だ。頑丈で、壊れにくい。長く使えると思う」
 などなど、次々とプレゼントを渡されはじめて、
「ちょ、ちょっと待て、待てって! こんなに持ちきれねぇよ!」
 とうとうジョーが音を上げた時――まるで真打ち登場といわんばかりに気取った仕草で、サチオが小さな箱を差し出してきた。
「……そんでこれは俺からだよ、ジョー」
「サチオ?」
「俺からっていうより、みんなからっていう方がいいかな。これ、ジョーへのメッセージを吹き込んだ音声データなんだ。
 今日のために、俺がみんなから集めて回ったんだぜ」
 音声データ。皆が自分のために吹き込んだ、メッセージ。
「……い、いらねぇよそんなもん!」
 意味を理解したらカッと顔が熱くなって、思わず立ち上がってしまった。何だよ、とサチオがむっとする。
「そんなもん、なんて言い方ないだろ? みんな、いっぱい話してくれて……」
「だからだ! んなこっぱずかしいもん、受け取れるか!」
「おうおう、照れるなよジョー。真っ赤になってやがる」
「照れてねぇ!! いいか、そんなの俺は絶対聞かねぇからな!!」
 南部の揶揄でどっと笑いが起こり、ジョーの声は儚くかき消される。
 冗談じゃねぇ、素面でそんなもん受け取れるかと、パーティーの間中、逃げ回ったのだが――

「――どの面下げてこんな話してんだよ、あいつら……」
 サプライズパーティーから翌日。
 ようやくサチオを振り切ってバイクで飛び出し、海が見える崖までやってきたジョーは、上着のポケットに、イヤホンと件の音声データが入った再生機を発見してしまった。
(サチオの野郎、いつの間に……)
 幸い人目もない。ここでなら醜態を晒したところで、見られるのは荒野をさ迷う蠍くらいなものだ。
 そこでとうとう観念し、おそるおそる聞き始めたのだが……やはり、恥ずかしい。とんでもなく恥ずかしい。
 皆が皆、ジョーに感謝したり、謝ったり、期待を伝えたりとそれはもう、山ほどの好意が詰め込まれている。
 一人分を聞き終わるまでにたびたびインターバルを入れなければ、とても耐えられない。
(ったく……全員バカみてえな事しやがって)
 何度目かの停止で息をつき、ジョーは上を仰いだ。
 今日は雲一つない快晴だ。青々とした空は、吸い込まれてしまいそうに広い。
『ついてるよな。俺たちは出会えたんだ』
 その眩しさに目を細めた時、不意に、勇利の声が胸の奥に響いた。
「…………」
 途方にくれるほど広大で、多くの者が生き急ぐこの空の下で、自分は彼らと出会い、共に歩み、生きている。
 ジョーは顔を戻し、手中の再生機を見下ろした。
 小さなそれにつまっているのは、出会いの軌跡そのもの。それがこんなに嬉しいと思えるなんて、少し不思議な気分だ。
「……俺もバカってことか」
 ひとりごちたジョーは小さく笑って、再生ボタンを押した。
 イヤホンから流れ込んでくる声はいまだ止まず――まるで潮騒のように、優しく鳴り響き続けている。

2018/10/4 最終回後、ジョーと彼を取り巻く人々のお話。