メガロボクス掌編

twisted warm

 何の気なしに外出したはいいものの、今日は随分冷え込む。上着を着てくりゃよかったと背中を丸めた時、ばさりと後ろから着せかけられた。
「ジョー?」
「それ着ておけよ、おっさん」
 どうやら自分の上着を寄越してきたらしいが、
「お前、シャツ一枚だろ。風邪引くぞ」
 目が見えていた頃のジョーを思い起こして返そうとしたが、いいから、と押し付けられた。
「俺ぁおっさんより若いんだ、このくらいで風邪にかからねぇよ。年寄りは言うこと聞いとけって」
「誰が年寄りだ、馬鹿たれっ」
 悪態をつく口元は自然に緩む。不器用な優しさは、有り難く受けとることにした。

The Tin Soldier

 声をかけようとして、動きをとめた。目の前の姿が、いつもと何か違う。
 そう思ったアラガキは少し考え、その違和感に気づいて、ハッと息を飲んだ。
 気配を聞きつけたのか、背中を向けていたミヤギが体ごと振り返る。その服の袖が片方、ひらりひらりと空中にはばたいたのをつい目で追ったら、
「……調整中でな。悪いが、今日のトレーニングは他の奴とやってくれ」
 隻腕のトレーナーは、気にするな、というように陰のある笑いを向けてくる。アラガキはそれを見返し、歩み寄る――かちゃん、かちゃんと義足の足音を立てて。
「病院に行くんなら、俺が運転する。ちょうど、メンテの時期だしな」
「……そうか。……そうだな、頼む」
 空の袖はまだ、風にひらひらと揺れている。まるで蝶が舞っているようだな、と柄にもなく叙情的な事を考えて、アラガキも相手に笑い返した。

wild cat

「Hey, Naked boy!! Today, you’d accept my challenge!!」
「っだー、しつけぇな! 俺ぁやらねっていってんだから毎日毎日来るんじゃねぇ、暇なのかよ! アメリカに帰れよ!」
 常は子どもたちの歓声で満たされる番外地ジムで、今日は、いや今日も、常ならぬ客人の外国語とジョーの声が響き渡る。
 グローブを手に巨体でずいずいと再戦を迫るバロウズに辟易したジョーが、たまりかねて外へ逃げ出す。その音を見送り、南部とサチオはため息をついた。
「なんつーか……あきらめの悪い奴だな、あいつも。ほんとに暇なのか?」
「ジョーに負けた上、引退されてリターンマッチも出来ないのが、よっぽど悔しいんじゃないかな」
「にしたって、しつこいにもほどがあらぁ。ジョーはやらねぇって何度も言ってるのにな」
 気持ちは分からなくもないが、と肩をすくめる南部に、サチオがくくっと笑った。何かと顔を向けると、サチオはまた笑って、
「あの二人じゃ、どうやったって相性悪いに決まってるよな。だって、犬と猫だもん」
「……ああ。そりゃそうだ」
 もっとも相手は犬より一回りも二回りもでかい、牙の生えた獰猛な猫だが。

GEARLESS JOE

 ずいぶん後になって、そういえばあのギアをリングで脱ぎ捨てたままだったと思い出した。一応確認してみたが、バロウズ戦の後、あっさりゴミとして捨てられてしまったらしい。
「悪ぃな。あんたにはずっと手をかけてもらってたのに」
 馴染みのメカニックに謝罪をかねて報告しにいくと、虻八はひげをしごいて、
「なぁに、構わねぇさ。あの大舞台で華々しく引退出来たんだ、あいつも本望だろう。それに」
 に、と口を笑みの形に変えて言う。
「あんたにゃもう、あいつは必要ねぇだろ?」
「……ああ。そうだな」
 野良犬は枷を引きちぎり、思うまま闘ってリングから降りた。だからギアはもういらない、と笑って頷き返した。

another pal

 ごちゃごちゃと詰め込んだ物置から目当てを探すのは一苦労だ。散々探してようやく工具箱を棚から引っ張り出したジョーは、方向転換しようとして、
「うわっ! と、とっ」
 何かにけつまずいて危うくひっくり返りそうになる。体勢をたて直して、何に足を引っかけたのかと見下ろすと、そこには茶色のバッグが鎮座していた。
「あぁ、……そこにいたのか」
 珍しく懐かしい気持ちになり、しゃがみこんだ。伸ばした手で、革に刻まれたJ.D.の文字に触れる。
(お前もそのうち、手をいれるか)
 バイクの整備を始めて右往左往してる初心者に、ギ​​アのメンテはハードルが高い。だが、南部や虻八、サチオと教師は事欠かないのだから、やってやれない事はないだろう。
(お前がリングに上がれるようになるかは分からねぇけど……ほっときっぱなしってのも、な)
 何度も自分の目を覚まさせてくれたもう一人の相棒は、静かに眠ったままだ。ジョーはぽんぽんと鞄を叩き、工具箱を抱えて物置部屋を後にしたのだった。

half in doubt

「あーあ、ひでぇ有様だな。だから俺の言う事を聞いときゃよかったものを」
「うるせぇな、ほっとけよ、っ……!」
 名無しの男は男の腕を邪険に振り払おうとして呻いた。相手のギアの刃物でざっくり切られた肩口は、とりあえずの応急手当だけでまだ血を流し続けている。
「いいから座れって、ちゃんと手当しなきゃぁ次に障る。ボクサーは体が資本だ。ちったぁ労わる事を覚えろ」
「いっぱしのトレーナーみたいな事言うんだな。あんた、今日はあっちに賭けてたくせに」
「そりゃあ……まぁ、勝負は時の運って奴だ、気にするな。俺はおめぇの才能を信じてるからよ、次は俺が安心して賭けられるようにしてくれよ」
 調子のいい事をと顔をしかめるが、傷の痛みも無視できなくて、結局固いベンチに腰掛けて男の手当てを受ける。
 酒浸りでギャンブル好きで借金まみれの、どうしようもない男。それなのに包帯を巻く手つきは妙に優しいように思えて、名無しの男はいつも少し戸惑いを覚える。
 分かりやすく堕落した、分かりにくい優しさを見せる男。
 この相手を信用していいのかどうか、心はまだ決めかねている。

path to grave

 薄暗い廊下に一人立つ。通路の先からはまばゆい光が投げかけられ、試合の開始を今か今かと待ちわびる歓声が漏れ聞こえてくる。
 壁にもたれてその声を聴いていると、心は昔に巻き戻っていくようだ――自分より弱い相手に負ける事を強いられ、鬱屈ばかりがたまっていく、あの地下での試合を待っている時へと。
(こいつを着てるせいもあるんだろうな)
 肩にかけたジャケットに手を当てれば、生身ではない硬質な感触に当たる。
 いつか南部が無理な改良をくわえようとして壊してしまったギアは、優秀すぎるメカニックのせいで、在りし日のまま、ジョーの背中にしがみつき、腕に絡みつき、まるで拘束するようにまとわりついている。
 その重さにジョーはぎゅっと目を閉じた。
(余計なもん、背負いこんじまった)
 昔が良かったなどと年寄りめいた事を言うつもりは無い。過去を振り返ったところで何の足しにもならない。
 それでも思い返してしまうのは、自分でも思っている以上に怖気づいているのだろうか。
 昔は無茶をしても壊れるのは自分だけ、心配事といえば今日の飯が食えるか、雨風しのげる宿を見つけられるか、少しは骨のある奴と闘えるか、そのくらいだった。
 それなのに、今はどうだ。
 この一戦に負ければ、勇利と闘えない。それは嫌だ。絶対に勝って、勇利のリングに上がりたい。
 だが勝ってしまえば、全てを失う。
 サチオ。生意気で可愛くないが、親を恋い慕い、目的を見失いがちな自分たちを叱咤する、チーム番外地の要。
 南部贋作。はったりといかさまでその場しのぎ、だが燻っていた自分を見出し、メガロボクスのリングに上げ、ここまで共に駆け上がってきた男。
 自分の命もかかってはいるが、それはどうでも良い。どうせリングで毎回命を張っているのだから今更だ。
 だが、あの二人は……どうでも良いなんて、とても言えないところまで、来てしまった。
(……荷物が重てぇよ、おっさん)
 ぐっと拳を握りしめ、下ろし、諦めたように指をほどく。そしてほとんど無意識に、指先で壁をなぞった。
 勝つにしろ負けるにしろ、自分は何かを失う為に、リングへ上がろうとしている。
 それがたまらなく恐ろしく、悲しく、苦しい。
 ジョーはハァッと大きく息を吐き出し、目を開いた。
 そして汚泥の中を進むような重たい、それでいて決然とした足取りで、通路の先へ歩き出したのだった。

catch up in past

 メガロボクスはショー・ビジネスだ。
 美しいスポーツマンシップをいくら並べたところで、そんなものは建前。
 人々は皆、殴り合う男たちに熱狂し、勝利したものへは自身を重ねて陶酔し、無様にリングへ沈んだものへは唾を吐く。
 表でも裏でも日々の試合で大金が動くし、ビジネスと割り切って義務的にリングへ上がる連中は枚挙にいとまがない。
(あんたはそういう連中とは違う。そう思ってたんだがなぁ、南部よ)
 昼下がりの心地よい日差しが降り注ぐラウンジ。
 新聞を手に人待ちの時間をつぶしながら、藪沼は心中でひとりごちた。
 紙面に大きく写真が掲載されているのは、謎の新人ボクサー、ギアレス・ジョーの不敵な笑顔。こいつが南部の新しい教え子かと思うと、面白くもあり、意外でもあり――そこに多少の失望も混じり合う。
(はったりの類は一番嫌ってたあんたがなぁ……こういう奴を使うとは)
 しかも久しぶりに連絡を寄越したと思えば、何でもいいから高ランクの選手とマッチングしてくれというのだから、よほど切羽詰まっているのかもしれない。
(俺はただの仲介屋。多くを知る必要はねぇ、自分の仕事をするだけだ)
 とはいえ、昔一目置いていた名トレーナーの凋落を目の当たりにするのは、疼くものがある。
 以前は自信にあふれ、無防備なほど熱心に売り込みをしてきた男が、いまやこびへつらうように笑って、下からこちらの機嫌を窺うように博打じみたマッチングを頼み込んでくるのだから、現実は何とも滑稽だ。
 そんな事を思いながら煙草のフィルターを噛んだ時、新聞越しに靴音がして、目の前に誰かが座る気配がする。
「……何だ、南部じゃねぇか」
 古なじみの顔を見て軽口をたたくと、相手は口を曲げて、
「何だはねぇだろ、藪沼さん。人を呼び出しておいて」
 と応える。マッチングが成立した、しかも十七位の選手と。そう告げれば案の定、南部は飛び上がらんばかりに喜びの声を上げた。
「で、そいつはなんて野郎だ」
「ああ、来たよ来たよ。どうしても挨拶してぇって言うもんでよ。待っててもらったんだ」
 自分でも意地が悪いと思いつつ、藪沼は素知らぬ顔で告げる。
(南部よ、あんたはこいつと向き合えるか? 闘うのはギアレス・ジョーだけじゃないぜ)
 背後に立つ男を目にした南部がどんな反応を示すか、なかば予期しながら。

puzzle game

 かき集めた欠片を並べて、パズルのように組み合わせるだけで一時間。
 それを接着剤でくっつけるだけの作業で、もうとっくに一時間以上過ぎている。
「ジョー、まだやってんのか。そんなもん後にして寝とけ。明日は樹生戦だぞ」
 手元だけ灯りを付けてもくもく作業していたのだが、気配を察したのか、二階の出入り口から南部が顔をのぞかせた。あと少しで終わる、とジョーは手を振る。
「こいつがなきゃ、あんた茶も飲めねぇだろ」
「んなもん、新しいのを買やいい」
 樹生に殴りかかろうとした自分をとめた南部に激高し、割ってしまったコップ。
 それがゴミ箱に捨ててあるのを見つけたら、どうにも居たたまれなくなって、睡眠時間を削ってまで修復作業にかかっている。
 我ながらどうかしていると思うが、南部が自分の為に、白都に監禁までされて体を張ってくれた。
 その行動を知ってしまえば、何もせずにはいられない。
「俺が優勝したら立派なの進呈してやるよ。……詫びのつもりなんだ、好きにさせてくれ」
 そういうと、鋭く息を飲む音がした。
 しばしの沈黙の後、
「……ほどほどにして早く寝ろよ」
 ごそごそと動く気配がして、南部の顔が見えなくなる。
 ジョーはふっと笑い、作業を再開した。慣れないパズルは形こそ不恰好だが、もう少しで終わりそうだ。