彼は彼女の思い出を抱く
リーパー戦争の後、あまたの混乱を乗り越えて、ノルマンディー号はようやく地球へ凱旋する。
マスリレイが甚大な被害を被り、FTLドライブ航行での移動を余儀なくされたため、行きは一瞬だったが、帰りは途方もない時間と距離をかけるはめになった。それゆえに、窓の外に懐かしい地球の姿が見えた時、船員は皆、安堵のため息をもらしたものだった。
それは連合、すなわち人類だけではない。最終決戦では銀河の種族が結束したがゆえに、地球はリーパー戦における絶望と希望の収束地となった。
あまたの命が強大な敵へ勇敢に立ち向かい、あるものは命を落とし、あるものは死に物狂いで生き延びたその結果として、暗い宇宙空間に青く輝く地球の姿は、それぞれの胸にもう一つの故郷のように映ったのかもしれない。
青い宝石の姿を窓から思う存分見つめ、ほっと息を漏らしたリアラと目を見合わせたアシュリーは、微笑んでからその場を離れた。
思えば、彼女とも長い付き合いだ。お互い船から離れていた時期があったが、最初と最後は背中を預けあう戦友だった。
(数年前まで、こんな風に異星人を受け入れるなんて、思いもしなかったわね)
エレベーターに乗り、上昇ボタンを押して腕を組む。個人的な懊悩ゆえに、異星人に対して強烈な反発心を持っていたのが嘘のようだ。
もちろんすべての種族を全て認めるのは無理だが、異星人の中にも、善人と悪人がいる。信頼できる、ともに戦える友人がいる。それを身をもって体現してくれたのは、この船の艦長……シェパード少佐だ。
エレベーターが止まり、扉が開く。足を踏み出せば、その階は廊下もなく、すぐ扉が現れた。慣れた手つきでそれを開いて部屋に入り――暗い中に気配を感じて、ハッと身構えた。
「そこにいるのは誰!」
宇宙空間で外部の侵入もないが、つい警戒の声を発する。身構えてじっと窺うと、しばらくの間を置いて、奥の暗がりから、ゆっくりと誰かが歩み寄ってきた。アクアリウムの淡い光の中に入ってきた姿を見て、
「……ジャヴィック?」
体の力は抜けたが、疑問を含んだ呼びかけになった。プロセアン……ああ、異星人に抵抗がなくなったとはいえ、この種族は無理だ。見た目がいかにも異星人、そして心を読むですって? 思わず及び腰になると、ジャヴィックは静かに立ち止まってこちらを睥睨した。
「何をしている」
「な…………にをしてる、はこっちのセリフよ? 私は魚の世話をしにきたの」
シェパードが可愛がっていたアクアリウムの魚たちは、激戦を潜り抜けて今日も元気に泳いでいる。
このまま死なせるのも忍びないとアシュリーは世話役を買って出て、毎日部屋を訪れているのだ。だから咎められるいわれはないと胸を張る。
「あなたこそ、シェパードの部屋で何をしているの。まさか今更、貨物室じゃなくベッドが恋しくなったわけじゃないでしょう」
「……。少佐を思い出していた。それだけだ」
「……思い出す? あなたが? ここで? ……ちょっと、まさかベッドに触って?!」
触って記憶を読むプロセアンとはいえ、それはいくらなんでもプライベートに踏み込みすぎだ。シェパードだって、私室で一番リラックスするだろう場所の記憶を見られたいなんて思わないはずだ。気色ばんで詰め寄ると、ジャビックはふっと横を向いた。沈んだ声で言う。
「少佐は悪夢を見ていた。ここで寝るたびに何度も。何度も……何度もだ」
「それは……」
つい言葉に詰まったのは、彼の声が予想外に落ち込んでいたのと、少佐が事実不眠症に陥っていたのを知っていたからだ。
(あの通りの性格だから、どういう状態なのか絶対口を割らなかったけど……ジャヴィックはその夢を見ていたの?)
それはどんな、と言いそうになる。彼女はどんな夢を見て、悩み苦しんでいたのか。それを知るすべはないし、知ったところで意味がない。
すべてはもう終わったのだ。リーパーは破壊され、銀河は救われ、シェパード少佐は伝説になった。それが事実であり、彼女の私事を根掘り葉掘りするのはゴシップ記者のすることだろう。それはすべきではない……彼女の尊厳のためにも。
「それはあなたなりの、少佐に対する気づかいや思いやり? あるいは、あなた自身の好奇心? どうあれ、自分勝手なふるまいよ。シェパードがこんなことされて、喜ぶと思うの」
一瞬沸き起こった自身の好奇心を戒めるため、ついきつい口調で告げると、ジャヴィックはアクアリウムの前に立った。緩やかに泳ぐ魚を四つ目で追いながらしばらく黙り込み、
「……少佐が私の記憶を読むことができるのなら、私はどんな内容であれ拒みはしない。逆もしかりだ。我々は……互いを受け入れていたのだから」
「…………え。待って、それって……え??」
またしても予想外の反応。頭の中がクエスチョンマークで埋まり、言葉の解釈ができないが……今このプロセアン、傲岸不遜で、現代の人々を原始種族と見下して止まないこの男が、人間を拒まないと……シェパード少佐を受け入れたと言っている??
「あなた、それは、え? あなた、あなたとシェパードが?? 付き合っていたということなの? いつから?」
「お前たちの言う交際に類するものかは判じえないが、関係を持ったのは事実だ」
「嘘でしょ?!!?」
いくら異星人に抵抗のない人だったとはいえ、このプロセアンと寝たってことなの、シェパード!? 大声で否定したらさすがに気に障ったのか、ジャヴィックがじろりとこちらを睨みつけた。
「悪趣味な嘘をつく理由はない。事実だと言っている」
「じ、事実って……そんな事誰も……いや、確かにシェパードはあなたに信頼を寄せていたし、コンジットに向かう時も声をかけて……いた、わね」
あまりにも思いがけないことに面食らったが、そういわれてみたら思い当たるふしがなくもない。嘘でしょ、ともう一度繰り返しつつ考え込むこちらから、また水槽に顔を戻したジャヴィックは、
「少佐は私の鏡のようだった。あんな存在は後にも先にも出会ったことがない。エコーシャード……ビーコンのように記憶をとどめておく事もできるが、今はまだ……少佐が過ごしたこの船の記憶を、その場にあるものを感じたいと思った。それだけだ」
「……そうなの。それなら言ってくれれば、邪魔しなかったのに」
「お前がここを定期的に訪れているのは知っていた。鉢合わさないように時間をずらしていたが、今日はずいぶん遅い」
「それは、さっき地球が見えたから……」
久しぶりの故郷を目にして興奮と感動で、離れがたかったのだ。クルーともだいぶ話し込んでしまったし……と、なぜか言い訳をするかのようにゴニョゴニョつぶやいていたら、
『緊急放送、緊急放送。こちらジョーカー、地球から通信が入った!』
不意にバカでかい放送が入ってびくっとした。何事と天井を仰いだら、
『少佐が生きてる! 少佐が……ああくそっ、少佐はシタデルから救出されて、地球の病院にいる!! 皆聞いてるか、少佐は生きてるぞ!!!!』
音割れがするほど興奮した叫びが響き渡り、耳を貫いた。とっさにジャヴィックと目を見合わせる……彼は四つの目を見開いて硬直していた。息をすることも忘れるほど驚いている。
と思った次の瞬間、二人してエレベーターに突進していたし、何なら船中の人間がぎゅうぎゅうになるほど操縦席に押し寄せる羽目になった。
嘘でしょ、いえ、嘘のはずない、彼女は生きている――シェパード少佐は生きている!!