つんと鼻につく消毒液の臭いが、サチオは大嫌いだ。
夜中の病院、最低限の明かりだけつけた廊下で、クッションのへたれたソファに腰かけてその臭いをかぐと、どうしようもなく孤独な気持ちに襲われる。
(……父ちゃん。母ちゃん)
否応なしに過去の記憶が蘇り、喉に詰まって息苦しい。
俯くと、つるつるとした床に投げ掛けられた赤い光が目に入り、よりいっそう胸が痛む。
すがるように視線をあげれば、分厚い扉の上に掲げられた「手術中」のランプはつきっぱなしのまま、まだ消える気配もなかった。
(おっちゃん……おっちゃん、大丈夫だよな)
自ら目をえぐりだすなどという無茶苦茶で藤巻とかたをつけた南部は、手術室に運び込まれてまだ出てこない。
目のあった場所から真っ赤な血を流しながらも、ジョーやサチオの手を借りて、自分の足で歩いてはいたけれど。
(生きて無事に帰ってくる保証なんて、全然ないんだ)
ぐ、と膝の上で拳を握って、恐怖に歯を食い縛る。
蘇るのは過去の記憶――自殺を図った父親が、病で弱った母親が、ここと似た手術室の中へ運び込まれ――そして戻ってこなかった、あの記憶――
「サチオ」
「!」
ぞっとして背中を震わせた時、低い声が耳に届き、拳が大きな手に覆われる。
はっと顔を上げれば、まだ試合の傷跡も生々しいジョーが、気遣わしげにこちらを見つめていた。視線が合えば、ふと表情を和らげ、
「んな顔すんなって。あのおっさんがそう簡単にくたばったりしねぇからよ」
サチオを安心させるように――あるいは自分に言い聞かせるように、そっと言葉を口にする。
「ジョー……」
「サチオ」
ぐ、と涙が出そうになった時、反対側からも声がかかり、もう一方の手に、ばふっと袖がかぶさった。
顔を向けるとオイチョが、ボンジリが、サンタが、やはり心配そうにこちらを見つめている。
そのまなざしを受け止めて、サチオは唇をかみ、
「……うん、そうだよな。おっちゃんならきっと、すぐ酒持って来いとか、言い出すよな」
涙がこぼれ落ちそうになるのを見られまいとうつむき、笑って言う。
赤いランプはまだ、消えそうにない。
だがあの時、入室まもなくランプが消えて、希望があっさり潰えた事を思えば、南部がまだ踏ん張っているのだろうと、勇気が湧いてくる。
……昔の自分は一人で、床に投げ掛けられた赤い光を見つめていた。
あの光を見ると、耐え難い孤独と恐怖が喉元までせりあがり、やみくもに叫びたくなる。
だが、両手を包み込むやさしい温もりのおかげで、涙とともにそれらがこぼれ落ちていく。
(俺はもう、一人じゃない。一人じゃないんだ)
そう思うと嬉しくて、辛くて、こどものように声をあげて泣き出したくなってしまう。
だからサチオはその代わりに、仲間の手を、ぎゅっと力強く、握り返したのだった。
花言葉は「清純無垢」