エンディング

 ――そして時は流れて、一年後。
 ――場所は、番外地ジム一周年記念パーティーにて。

「よいしょ……っと」
 勢いをつけて、ミニバンの後部ドアを開く。中には二ダースのビール瓶が入ったケースと、ぱんぱんに詰め込んだ紙袋がいくつか。
 よし、まずは酒をと手をかけた時、
「――シャーリー・・・・・、お帰り!」
「買い出しお疲れ様」
 呼び掛けられて顔をあげれば、サチオとアラガキが歩み寄ってくるところだった。車中を覗き見て、
「何だ、ずいぶん買い込んできたんだな?
 大変だったろう。言ってくれれば、俺も付き合ったのに」
「ごめんなー。おっちゃん達が盛り上がりすぎて、べろべろに酔っぱらっちゃってさ」
 申し訳なさそうな二人に、彼女――シャルはいいよ、と笑いかける。
「どうせ車だから一滴も飲まないし、自分の買い物もあったから。これ、運ぶの手伝ってくれるかな」
「分かった、貸してくれ」
「オレ、こっち持ってくよ」
 サチオが袋を抱え、アラガキはビールのケースを手にした。
 そのまま戻るのかと思いきや、
「…………」
 アラガキがまじまじとこっちを見てきたので、
「な、何? 何かついてる?」
 戸惑って聞いたら、ああいや、と相手は目を細めた。
「久しぶりに会ったが、ずいぶん雰囲気が変わった気がしてな」
「そ……そうかな」
 う、あまり触れられたくない話題な気がする。ごまかそうとしたが、だよなーっとサチオまで乗っかってきた。
「だって前までいっつも、トレーニング中みたいな恰好してたのに、今日はスカートだもんな。
 髪も伸ばしてるし、そりゃ印象変わるよ」
「そうか、それでか。ずいぶん見違えたと思った」
「……」
 あらためて指摘されると気恥ずかしい。シャルはぷいっと背を向け、もうひとつの袋を手に取る。
 肩まで伸ばした髪は、後頭部でまとめているから気にならないが、動くとワンピースの裾がふわっと広がり、風に足を撫でられるのが、未だに慣れない。
「……そういうのは、いちいち言わなくて良いんだよ、ほっといてほしい」
「何でだよ、誉めてるんじゃんか」
「ああ、よく似合ってるぞ」
 ぶつぶつ言うと二人が更に被せてくるものだから、ますます恥ずかしくて顔が熱くなる。と、
「――おい、アラガキにサチオ。人のもんに手出したら、馬に蹴られるぞ」
 横手からかかった声に振り返れば、ジョーが勇利の車椅子を押してやってきた所だった。
 へへへ、と笑うサチオと対称的に、
「なっ、よしてくれジョー、そんなつもりじゃないっ。違うからな、勇利」
 アラガキは慌てて、大真面目に否定した。ジョーの手を離れ、自ら車椅子を動かして近寄ってきた勇利が、
「ああ、分かってる。ジョーがからかってるだけさ。
 ――お帰り、シャル」
 鷹揚に笑って、優しく出迎えてくれる。
「うん、ただいま……とと」
 そこでよろめいたのは、跳ねるように駆け寄ってきた犬にぶつかられたからだ。
 こっちもただいま、と頭を撫でてから、袋からペット用のおやつを取り出した。
 期待で目を輝かせる犬の前で封を開け、
「よしよし、ジャーキー買ってきたぞ~」
 いい子にお座りしたので、ごほうびにあげる。それを見た勇利が、苦笑した。
「あまり甘やかすな。最近、太りぎみだぞ」
「そんなことないよ、大丈夫大丈夫」
「そうかあ? 確かに腹がぷよぷよしてきてるような」
「散歩も運動もちゃんとしてるよ」
「それ以上に飯やりすぎなんじゃないか」
 わいわい話しながら、買い出したものを会場へ持ち込み、思い思いに席につく。
「おっ、待ってました! こっちはもう、カラッカラに干上がってるぜ」
「飲み過ぎじゃないか、南部さん。大分ふらふらしてるぞ」
 ご機嫌になっている南部の横で、同じく赤ら顔のミヤギが笑う。
 いい加減にしとけよ、とサンタが酒を取り上げるのを視界におさめて、シャルは勇利と並んで腰を落ち着けた。
 喉が乾いたので、ジュースに手を伸ばしたところで、
「しかしあれだなあ、このパーティーが終わったら、次はあんたらの結婚式だな」
「うっ」
 つまみのスルメを食べながら、南部がいきなり水を向けてきたので、思わず硬直してしまった。
 そういやそうか、と正面のジョーが勇利を見る。
「式やるの、いつだって?」
「四か月後だ。小さな教会で、ささやかにな」
「どうせなら、豪勢にやればいいのに。だって結婚式だろ? 一生にいっぺんなんだからさ」
 サチオの指摘に勇利は肩をすくめた。
「俺はどちらでも構わないが、シャルが嫌らしい」
「で、何であんたは、そんな渋い顔してんだよ。シャーリー」
 つい憮然としていたら、それを指摘されて、皆の視線が集まってしまった。
 ジュースを飲みながら、だってさ、と口を尖らせる。
「そんな大袈裟なこと、する必要あるかな……。
 もう籍入れてけっこう経つんだし、いまさら形式的な事しなくても」
 付き添いのためにゆき子がついた「婚約者」という嘘は、ほどなく真実になった。
 身内でなければ介護ができないとか、籍をいれた方が何かと便利だとか、まあ理由は様々だ。
 とにかく今は左手の指輪も、存在を忘れるくらいには馴れてしまった。
 ここで改まって結婚式をしなくても、とシャルは思っている。のだが、
「んなこといって、さっきのスカート褒めた時みたいに、ドレス姿をみんなに見られるのが恥ずかしいんだろ!」
「ぐっ」
 サチオに突っ込まれて、ジュースをこぼしそうになった。どうしていつも的確に急所をつくんだ、こいつは!
「恥ずかしいだあ? 何言ってんだ。女の一生に一度の晴れ姿なんだ。堂々としてりゃいいだろ。
 むしろ今日の主役は私! くらいに胸張ってりゃいいじゃねえか」
 南部が絡んできたが、だから嫌なんだよ! とつい声を高ぶらせてしまう。
「そういう主役とか柄じゃないし、ドレスなんかきゅうくつで動きにくいしヒラヒラしてるし裾長すぎて踏むし、化粧もどぎつくされて髪もいじくり回されて、やれ太るなだのもう少し肉つけてだの爪の手入れだエステをやらないかだの、あんなの似合わない上にめんどくさい仮装じゃないか、あんたらは男だからそういうのわかんないだろ!」
「……お、おう……」
「……大変なんだな」
 ……心の高ぶりのままに思わずぶちまけたが、言い過ぎたかもしれない。
 ヒステリーじみた力説に皆がドン引きしてしまい、アラガキからは同情の目を向けられる始末。
「新婦はこういってるが、新郎としてはどうなんだ、勇利」
 彼に問われて、勇利はそうだな、と少し頭を傾け、
「……本当に苦痛でしかないのなら、やめてもいい。
 だが」
 こちらを見て、いつものようにふっと笑った。
「誰よりも俺が、シャルのウェディングドレスを見たいと思ってる。それは理由にならないか?」
「え。…………えっ」
 まっすぐ見つめられ、遅れて言葉の意味を理解する――途端、顔が火を吹くようにぼっと熱くなった。
 な、な、と言葉に詰まっていると、
「……あーはいはい、ごちそうさん」
「そういうのは家に帰ってからやれよ。これだから新婚ってヤツはよ」
「すっかりあてられたな。酔いもさめそうだ」
 ははははは、と空笑いを漏らした周囲が、三々五々テーブルを離れて、二人だけ残されてしまう。
 ……これは恥ずかしい。シャルは真っ赤になった顔を手で覆って、
「そ、そういうこと、しれっと言わないでほしい……」
 羞恥の極致で呻いたが、
「俺は本当の事を言っただけだ」
 天然の元チャンプは堂々としたものだ。こういうところは全く始末に負えない。ううーと頭を抱えていると、
「シャル」
 ぎっと車椅子を鳴らして上体を曲げ、勇利はこちらを覗き込んでくる。
「それで、どうなんだ。心底嫌なら、キャンセルは間に合うぞ」
「…………本当に本当に嫌なら、髪伸ばしたり、スカート履いたりしないよ」
 窮屈なことには変わりないが、なんだかんだ言って自分も少し、ちょっと、だいぶ……楽しみにしているところはあるのだ。
 しかし、それを口にすると、敗北宣言みたいで悔しい。と思っていたら、
「だろうな。俺も待ち遠しい」
 こちらの気持ちを完全に見透かした様子で勇利がニヤッと笑ったので、――何か、ムカッとした。
「ジョー、一緒に飲もう! こっちはジュースだけど!!」
 がたんと勢いよく立ちあがり、よそのテーブルへ避難したジョーを取っ捕まえに行く。
「何だよ、お前らは二人でいちゃついてろよ。当てられたかねぇ」
「勇利は! 時々余裕過ぎて! ムカつくんだよ!」
「はぁ? ……あーそれは分かるけどよ、っておい、無理に隣に来るなよ」
「……ジョー。あまり、シャルと接近するのはやめてくれ」
「なっ、俺のせいじゃないだろ、こいつが……。
 ああったく、人を痴話喧嘩のネタにするんじゃねぇよ、バカ夫婦!」

 ――途中騒動があったとはいえ、パーティーはおおむね賑やかに過ぎていく。
 やがて興に乗った南部が、サチオの端末を奪って軽やかな曲を流し、だれかれ構わずダンスをしかけ始めた。
「わっ、おっちゃん、オレまだここ分かんないってば!」
「こないだ教えたろうが、いい加減覚えろ。
 ジョー、お前もなんだ、そのよたよたした足取りは。
 リングの上じゃ、あんなに軽やかに踊ってただろうが」
「うるせぇよ、そうそう上手くなるかっ」
 チーム番外地の三人が不恰好に踊れば、それを見て笑っていた街の人々も続々と参戦し、広場はあっという間にダンス会場へと様変わりする。
 ジョーのように不器用に踊るもの、型にはまった見事なステップを披露するものがいれば、全く違うダンスを始めるものと、酒も十分入っているせいで、もはや乱痴気騒ぎにも等しい。
「あーぁ、南部さん大丈夫かな。こけなきゃいいけど」
 テーブルに寄り掛かってそれを眺めて、シャルは笑ってしまう。
 そうだな、とその隣で同じく皆を見ていた勇利が、ふと思いついたように、こちらへ手を差し出す。
「?」
 なに、と視線を向ければ、彼は恭しくこうべを垂れた。
「……どうか私と踊っていただけますか、お嬢さん?」
「――」
 驚いて、目を瞬く。――まるで社交場のように優雅な仕草で、ダンスに誘われている。
(勇利、ダンス出来るのか?)
 と危惧したのは一瞬。シャルは、
「……喜んでお受けいたしましょう、紳士なお方」
 気取った物言いを返すと同時に、笑って手を預け、ダンスホールへと進みだす。
 二人が加わった事で、わっと歓声が上がり、スペースが開けられる。
 そこで互いの手を取って、音楽に合わせて踊り始めた。
 シャルは正式な踊り方なんて知らないし、勇利は車椅子で、そもそもステップを踏めない。
 だからダンスは適当だ。
 けれど、二人で手をつないだまま、その場でくるりと回転したり、勇利の手を引いて皆の間をすり抜けるように進んだり、互いの肩と腰に手を回して見様見真似で踊っていれば、自然と笑顔になって楽しくなってくる。
「ジョー! サチオ! 南部さん!」
「おう!」
「へへっ、シャーリー!!」
「おう、やるじゃねぇか、お二人さん!」
 すれ違いざま、シャルはジョーやサチオ、南部と手を打ち合わせ、時にはアラガキと背中合わせに踊り、犬と一緒に跳ねまわる。
 勇利は勇利で、子どもたちに勢いよく引っ張りまわされ、声を上げて笑っている。
 そんなお互いを目にすれば、なお一層、心が弾んでいく。
 ――楽しい。こんな時がいつまでも、永遠に続けばいい。
 そう思う一方で、いずれこの時間が終わりを迎える事を知っている。
 この感覚は、ジョーと勇利の決勝戦を見ていた時と同じだ。
 心を揺さぶる、何よりも熱く燃え上がる瞬間は永遠に続かないと、自分たちはもうとっくに分かっていた。
 ……だから今は、この時をこそ、目いっぱい楽しむ。
 それが、何よりも大事なことなのだと、思う。
「勇利!」
「シャル!」
 離れていた勇利とまた手を取り、二人で笑いながら踊り続ける。
 周囲は軽やかな曲と幸せな笑い声に満たされて、それは夜空を覆い尽くすように、辺り一面へと広がっていく。

 ……やがて曲が終わりを告げても、パーティーはまだ終わらない。
 いずれ去らぬ終焉まで、人々は心行くまでその時を味わい、楽しみ……そうして番外地ジムの一周年記念パーティーは、人々の絶え間ない笑い声と、東の空にのぼり始めた新しい朝日のもとで、幕を下ろしたのだった。