降誕

 ふと、空気が震えた気がした。

 川からの湿った風は冷気を伴い、遮蔽物のない荒野を吹き抜けていく。
 霜柱が地面を盛り上げ、子どもらに踏みしめられた跡があちこちにある。六年前もそうだったが、
(今年の冬はかなりきついな。暖房を買い足したほうがいいか)
 そんな事を思いながら、隙間風を防ぐためのトタン板を壁に立てかけた。触れた指がじんじんとしびれるほどに冷たい。作業を始める前に、まず手を温めようと考えた時、
「……」
 ふと、何かの音を聞いた。
 気のせいか。だが、そうじゃないかもしれない。漠然とした感覚に誘われ、あらぬほうへと顔を向けた。
 視界に広がるのは、寒々とした荒野。
 川を挟んだ向こう側には陽光をはじく煌びやかな街並みだが、こちら側は何もない。洪水の前であればまだ近所といえそうなバラック小屋もあったが、それも流されたか、放置されて崩れかけている。
 用がなければわざわざ誰も訪れない、見捨てられた場所。寒風吹きすさぶ冬になり、指先までかじかむ時期はそれをなおいっそう実感する。
 だが、誰もが見捨てたわけでもない。
 かなたに目を細める。はるか地平線まで視線を走らせても、見るべきものは何もない――いや。
(誰か来る)
 冴えた空気で遠くまで見通せる中、動く影がある。淡い陽光を背にそれは、まっすぐこちらへ走って……そう、走ってきている。
 彼にとってはなじみ深い、遠くからでもわかるエンジンの震えをまといながら。
「っ」
 トタン板から手を放し、急く心に体が動く。足早に向かうよりも早く、あちらのほうが近づいてくる。耳に届く聞きなれた駆動音と、目に映る騎乗姿に、自然と顔がほころんだ。
 バイクが来る。荒野のほこりを立てて、澄んだ風の中を刺すように、迷いもなくまっすぐに。

「――サチオ、早かったな。明日来るんだと思ってた」
 番外地ジムの正面に滑り込んできて止まったバイクに歩み寄って、声をかける。エンジンを切ってスタンドを立てたサチオが、ああ、と笑顔を見せた。
「ちょっと早めに仕事終わってさ。初めての年末だから上がっていいって言われたんだ」
「そうか。うまくいってるみたいだな」
「もちろん! 毎日覚えること多くて大変だけどな」
 ハンドルを左に切るのも手馴れたな、と思いながら視線を横にずらし、少し笑った。
 ここを去る時はバッグを一つ括り付けていただけだったのが、帰ってきたらパンパンに詰まったのが三つに増えている。よくこれでバランスが取れたものだと、ぽんと手を置いた。
「ずいぶんな大所帯じゃねぇか。これ全部持って帰ってきたのか?」
「苦労したよ、積む時も乗る時も。でも、土産をあれもこれもって思ったら減らせなくてさ。それに」
 サチオは反対側に立ち、ストラップに手をかけながら、
「明日はクリスマスだろ? 去年はできなかったけど、今年は――あいつらがいるから。サンタからのプレゼント期待してるだろうなと思って、いろいろ買ってきたんだよ」
「――」
 荷物を支えながら、わずかに息を飲む。そして顔を緩めた。
 ああ、わかってる。
 去年、ここは災害に見舞われ、番外地の皆は全てを失って離散した。
 子どもたちは白都の施設で、クリスマスのなにがしかを経験したかもしれない。
 きっとそれは、お世辞にも裕福とは言えない番外地の、ささやかな催しよりも豪華だったに違いない――だが、
「……そうだな。パーティーの準備はしてたが、プレゼントはこれからのつもりだった。
 お前が用意してくれたんなら、助かる」
 括り付けた紐から解放されたバッグを、ずっしりと重いそれを両手に抱えて、笑う。寒さのせいでこわばった笑顔になったかもしれない。
 サチオもまた、長い家路をバイクとともに駆けてきて、疲労の色が見える笑みを返してきたから。
 痛みを伴う笑みを交し合う。そのせいで自分が、サチオが、今ちゃんと生きて再会できたのだと、いまさらながら実感したから、
「サチオ。……お帰り」
「ああ。ただいま――ジョー」
 改めて言葉にして、声に出して笑いあう。
 凍てつく寒さの中、手足の先まで凍り付いて体にガタが出ているが、胸の内は炎がともったように暖かい。こうしてまた共にいられる事を心から喜びつつ、ジョーはサチオと共に、家の中へと入っていった。
 遊びに行っている子どもたちが戻ってくる前に、サンタクロースのプレゼントをどこに隠しておこうかと他愛ない話ができるのは、なんて幸せなことだろうと思いながら。