ネガティブな感想です

 NOMAD大好きなんですけど、ちょっと引っかかってるところがあるのは以前かいた通りで、またその事を考えていたんですが。
 地下のリングで足掻いていたサチオにアラガキが、お前はジョーになれない、自分のままで生きろと告げた。
 その一方でリュウは一期のジョーが持っていた要素をうつされて、精神性もジョーにあえて寄せているし、その言葉を知っていなければ出てこないような台詞(信じた自分を信じる)が、演出としてジョーをかぶせているように思えて、何かそこは微妙だなぁと感じます。
 リュウはリュウで、若さがあるにしてもジョーより精神が強いなと感じるんで、違いはもちろんあるんですけど。
 お前はジョーになれないとはサチオへの言葉ですが、リュウはジョーにするために作られた面があるように思えて、いいキャラなだけにうーんとなってしまう。

 ジョーがマックにチーフを重ねるのも正直うーん…と思わなくもないんですが……一期のジョーなら俺を見ろ、相手は俺だと言うだろうなと。
 ただまぁ、生きている中で誰かの影を誰かに映すっていうのはあるものだし、それは人間らしい感覚と言っていいかもしれない。一期の時、一匹の野良犬だったジョーが人間になり、家族を得て、人としての感覚を備えたと考えると、まぁ人間らしい反応なのかもなぁ、と考えたりしました。
 人生を生きる中で考えが変わっていくことは往々にしてあるし、そういう成長……変化? としては、マックとチーフを重ねるのはそういう事もあるかな、という気持ちに落ち着いてます。

 でもリュウはな~!!!
 マーラとマヤの話でも、マーラは血のつながった家族でも通じ合えないという演出かなと自分の中で整理したけど、マヤの子どもを危険にさらしていた状態は演出の犠牲だと感じたので、リュウもマヤも同じ理不尽を感じてしまうな……
 もともと、本人とそれのコピー(アンドロイドやクローン)で後者がその人物として残る展開みたいなの好きじゃないので、本人の人格が尊重されない演出が受け入れがたいのかもしれない。
 あとリュウ自身が勇利の再来ともてはやされて、ずっとその影に甘んじなければならない状態に不満を持っていたのも、こう感じる原因かもしれない。作品の中では勇利の、メタ視点だとジョーの影にされてる。
 勇利はリュウのおかげでメガロボクスに戻って来られたと言ってるけど、戻る決意をさせたのは本物を教えてくれという台詞から想起したジョーなんですよね。勇利を動かした主体はジョーで、リュウじゃないってところも引っかかってる……

 NOMAD本当に凄く良い話だし、一期と二期で完成されたジョーの物語だなと感じてはいます。描き方としては二期の方が完成度高いと思う。でも私は一期の方が好きかもしれない……上記のような、演出によってキャラが動かされる描写があんまりないからかも。
 まぁブルーレイは3BOX買いますけどね!!! 

 ツイッターでネガティブな意見かくのは何かはばかられるので、ブログ作ってよかったな……不快に思われる方がいらしたらすみません。

 ネガティブついでに二期のキャラデザ、物語に合わせてかもしれませんがちょっと可愛さによってるところがあって、一期のキャラデザで見てみたかったな、と思わなくもない。可愛いのもいいですけどね!