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同じ点にもやもやしている方が自分以外にもいるとは思いもしなかったので、コメント頂けて、少しほっとしました。
物語の完成度が高くて、大好きな作品だからこそ、引っ掛かりを覚えてしまうのはそうですよね。
以前にも書きましたが、メガロボクスは物語の中で生きる人々の人生を丁寧に描いているので、演出のために動かされているな、と感じる部分が出てしまうのは勿体ないなと感じます。

個人的にそう感じたことで、これを書く事で嫌な思いをする人もいるかもなあと思っていたので、こうして反応を頂けて嬉しいです。お気遣いまで頂いてありがとうございます!
本日最終回ですし、これからまたブルーレイの発売やイベント等で盛り上がっていくかと思いますので、最後まで楽しみたいですね!

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 二期における母親ではなく、男性のサポートを行う役割の方が描かれてる点について改めて考えてました。
 以前ANNのインタビューで、真辺さんや小嶋さんが男らしさの呪い、マチズモからの脱却について触れていましたが、この女性の役割についても同じ事が言えるのかなと。

 そういえば、森山監督はメガロボクスは西部劇の構造と言ってましたね。
 西部劇はさほど詳しくないのであくまでイメージですが、物語における女性の役割はやはり男性のサポート、ちょっと意地悪な言い方すると添え物的な面があるような気がします。
 男たちは命をかけて孤高に挑む、女たちはそれを支え、時に癒し、見送るしかない立場。

 メガロボクスにおいては、男性社会へ果敢に挑むゆき子という女性がいます。立場的に彼女はどうしても男性的な役割を担う事が多い。ゆえにその描き方に違和感がないのかな。
 また、マーラはおそらく女手一つでミオを育てていて、父親的な役割も担っているのかもしれません。だからミオに対して、男の子は勝手に育つ、男親はいちいち出て行かない、という面まで引き継いでしまっているのかも。
 ただ、そこはやっぱり父親ではなく母親だから、多分本来であればもっとミオを心配して、コミュニティで悪さをしているときにも出張って叱って、構ってあげる方が自然なように思えてしまいます。
 そこは母性のなせるわざで、例え父親的な役割も担ってるにしても、同時に表れる部分じゃないのかなぁ……。

 ここまで書いて思い出しましたが、小嶋さんがインタビューで、道を違えた子ども(サチオ)を見守る大人(アラガキ)の話をしていましたね。
 もしかしたらミオもその系統なのかもしれませんが……
 (ジョーの帰還にいら立ってビール瓶で暴行した件は別として)サチオは基本的に自傷行為だったので、アラガキがぐっと飲みこんで見守るのも分かるんですけど、ミオの場合は移民コミュニティと地元民の関係悪化につながる行為をしていたので、ケースが違う。
 そこは見守るのではなく、チーフのように放火の事は怒っちゃいないと優しく流すのではなく、正面から、真っ向からミオの気持ちに向き合ってしかりつける大人が居なくてはいけないのでは、と思います。

 一期では大人も子どもも関係なく独立した存在と描かれていて、子ども扱いしないという点が好きだったんですが、マーラとミオに関してはそこが悪い方向で出てしまってる気がします。
 とても意地悪な見方をしてしまうとマーラ、子どもほっぽいて男に夢中なシングルマザーみたいな振る舞いになってるんですよね……。本人にその意図は全くないだろうし、ミオを愛してもいるんだろうと思えるので、余計に違和感を強く感じます。
 ミオ達が日本に来たのはおそらく7年前。そして今になってミオが、この国に勝手に連れてきた事を恨んでるとマーラが初めて知る、というのは、親子の間で十分な話し合いが出来ておらず、マーラがその場その場でだけ叱責している証のように思えます。
 ……うーん、カーサの人々が都合のいい時だけチーフに乗っかってきたのは意図して描かれているようなので、もしかしたらこれもそうなのかな……。

 マヤについては、夫に献身的な妻の役割の方が強くなってますね。
 そこはすごく素敵だし、愛し愛される夫婦で好きだなと思いますが、夫の全身不随と引き換えに子どもの命を選んだ母親としては、やはり今ある家庭内の危機に対して、構えていなさすぎる。
 食事やおもちゃに執着するマックは子どもを傷つけない、そういう記号的なルールがいかなる場面であっても適用されていると分かっているのでなければ、夫と子どもを二人きりにしないよなぁと……
 いや、物理的に傷つけないとしても、子どもの心に傷を負わせている事には変わりないので、やっぱりおかしいのでは??
 マーラのところはもしかしたら意図的な描写かもしれませんが、マヤのところは演出の犠牲になっているのではないでしょうか。

 上でマチズモの話をしましたが、この「女は男を支える」という役割の描き方も、脱却すべきところではないかな、というのが、今回二期を見ていて感じたところです。
 もしかしてマーラについては、チーフとカルロの関係性と比較してあえてなのかなーと思わなくもないですが……多分違う気がする。作り手の先入観じゃないかなって気がしてしまいます。
 母親は常に子どもの事を考えてろっていうのも相当乱暴な考え方なので、それをかけと言ってるわけではなく。
 ただ男性、女性と生来の性別にはあらかじめ備わった機能があるわけで、母性は本能に根ざすところの多い物だと思うので、子どもがいる母親を出した以上、そこはもうちょっと自然に描いてほしかったなとおもいました。

 メガロボクス大好きですが、個人的には一期も100%全てを肯定しているわけではありません。二期もそれは同様で、ただ一期とはまた違う点で、作り手の意図を強く感じてしまう面が目立っているように、私には思えました。
 これはほんと勝手な意見ですが、そこがもったいないと思えてならない……。
 二期であしたのジョーから独立した作品を作ろうと意気軒昂に挑んだ結果、傑作が出来つつもやや粗削りな作品になったのかもしれない、というのが個人的な見解です。偉そうにすみませんただの一視聴者です!!!!!!