ビリーブ・イット

「そら、これで準備完了だ。
 立ってみな、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんはやめてくれ、よっ……と、うわっ!!」
 その日、ゆき子がラボのとある一室へ足を踏み入れた途端、がちゃがちゃがちゃん! と派手な音が響き渡った。
 何事かと、騒音の元へ目を向ければ、そこではギアを身に着けた女が、床に尻もちをついてじたばたしている。
 そばに立った白衣の技術者は、笑いながらその腕を掴んで、引きずり起こした。
「お前さんが今つけてるのは軽量型だが、そんな細っこい体じゃ立てなくて当然だな。
 そいつを着けて、リングの中を動き回るだけの体力つけなきゃ、何にも始まらないぞ」
「う……わ、分かってる、よ」
 悔しそうに口をとがらせて、女は椅子に座りなおす。
 無骨な機械に覆われた腕を曲げ伸ばししている内に、ふとこちらの存在に気づいた。
「?」
「ん? っと、ゆき子嬢ちゃんか。急にどうしたい、何か用か?」
「いえ、あなたにではありません」
 同時に視線を寄越した技術者は、昔なじみで言葉も気安い。
 どんな立場になっても態度の変わらない男にふ、と気が緩むのを感じながら、ゆき子は二人のところへ歩み寄った。
 誰だ、と疑問を顔に浮かべた女を見下ろし、
「勇利がジムに入れたいと言ってきたのは、あなたですね」
 確認する。相手は軽く眉を寄せて、
「……そうだけど、あんたは……いや、あぁ。あんた白都の人か。白都ゆき子、だっけ?」
「ええ、初めまして」
 テレビで見た事あると呟かれたので、ゆき子は首肯する。
 女の隣で、技術者は額をこりこりと掻いた。
「なんだ? 勇利が引っ張ってきたのがどんなのか、顔を拝みに来たってのか、嬢ちゃん?
 忙しいってのに、物好きだな」
「……そんなところです。彼がわざわざ直談判してきたものですから」
 普段あまり他人に興味を示さない男が突然、どこの誰とも知れない人間を連れてきたのだ。
 注意を払うのは当然だろう。しかし――
(まさか女のメガロボクサーなんて。一体、なにを考えているの、勇利)
 実際顔を合わせてみれば、まだ若い女だ。自分よりも年下ではないだろうか。
 元より体を鍛えていたのか、細くとも筋肉はついているが、まだギアを支えられるほどではない。
(メガロニアはまだ先。準備期間は十分にあるとはいえ……)
「不満そうな顔だな、お嬢様。
 こんな痩せっぽっちでガッカリしたか?」
 気持ちが表情に出たのか、肩を揺らして女が皮肉を言う。
 咄嗟にやんわり返そうとしたが、何事も率直に語るらしい女の前では意味がなさそうだ。
 ゆき子は冷然とした眼差しで彼女を見下ろし、
「……ええ、そうですね。
 正直に言って、今のあなたではメガロニアどころか、メガロボクスの試合に出る事も叶わないでしょう。
 あなたに合わせて白都のギアを提供するのはやぶさかではありませんが、こちらも慈善事業ではありません。
 技術提供を受けたいというのであれば、白都こちらに対してメリットがなければ」
「メリットは、ギア改良の実験台、だろ?
 誰でも使える最軽量ギアの研究って奴の」
 ふ、と力を入れて、女は腰を上げた。
 数十キロの重量を持つギアを背負って立つには、女は華奢に過ぎる。
 だが彼女は踏ん張り、全身に力を入れて支えながら、ゆき子を真っ向から睨み据えた。
「勇利に聞いた。
 ギアは色んな産業分野ところでも使えるように、昔からずっと研究されてきた。
 今じゃずいぶん技術も進んで、使いやすくなってきたけど、まだ重量がかさんで、体力のある男しかつけられない。軽量化が課題になってるって」
 だから、と自分の胸を指す。
「力のない女でも使えるようなギアを研究するための実験台っていうのは、あんたらにとってメリットなんだろ?
 こっちは体を差し出すんだ。
 一方的な取引じゃないと思うけどな」
「…………」
 そう言われてしまうと、返す言葉がない。
 というよりも、勇利がゆき子に直談判してきた時も、メガロボクスの性差を埋める利点だけでなく、同じことを言っていた。
 今のは、当人がそれを認識しているのかどうか、確認したようなものだ。
(では、勇利が語って聞かせた内容を、理解するだけの知能はあるのね)
 物乞いのような娘だったというから危うんでいたが、いちおう合格だ。
 とはいえ、もう一つ確認したい。
 ゆき子は相手の鋭い眼差しを真っ向から受け止め、静かに言う。
「……あなたは以前から、勇利を知っていたのですか?」
「? それはもちろん。メガロボクスを見てて、キング・オブ・キングスを知らないなんて、よっぽどのモグリだろ」
「では、あなたは勇利に憧れてボクサーになろうと?」
「いや? 昔ボクシングの試合を見て、自分でやりたいと思ったからだ。勇利を知ったのはその後だな」
「そうですか」
「……何か言いたい事があるなら、はっきり言ってくれよ。うわべの会話は苦手だ」
「いえ。ただ、勇利は――知っての通り、キング・オブ・キングスとして名をとどろかせています。
 熱狂的なファンも多く、公の場に出る際はボディーガードが必要になるほどです」
「それで?」
「……彼の人気は男女問わず、特に女性は過激な行動をとるグルーピーがいます。
 彼女たちはありとあらゆる手を使って勇利に近づき、彼を手に入れようと躍起になる。
 先日も、控室にもぐりこんだ女性をつまみ出して――」
「ストップ」
「!」
 ビッ、とモーター音が鳴り、ゆき子の眼前に拳が突き出される。
 つい硬直すると、腕を引いた女は不機嫌そうに口をとがらせて、
「あの人が、そんなを自分の膝元に引っ張り込むような真似するかよ。
 ……おじさん、これ外してくれ。そろそろジムの掃除しにいかなきゃ」
 重量に耐えかねたのか、もう一度椅子に腰かけ、技術者へ声をかけた。
 ぶすっとした顔は、本気で気分を害しているように見える。
 では、と念を押した。
「あなたは勇利に、妙なちょっかいをかけている訳ではないのですね」
 すると女はぎろり、と睨み上げてきた。
 膝の上に置いた手を握りしめ、
「――オーナーのあんたまで、あの人をコケにするような事を言うな。ヘドが出る」
 吐き捨てるように言い放った。
「勇利が、そんなしょうもない色仕掛けに引っかかる訳ないだろ。
 大体、キング・オブ・キングスは自分にとって、神様みたいなもんだ。あんたは神様に対して欲情するのか?
 そんなの、頭がおかしいとしか思えないね」
「……そう、ですか。それは……失礼しました」
 叩きつけるような強い言葉を吐くのは、よほど腹に据えかねているからか。
 女の全身から沸き起こる怒りの気配に意表を突かれ、ゆき子は謝罪を口にしていた。
 そして同時に安堵する。
 女っ気のない勇利が突然、身元不明の女を連れてきたのだ。
 周囲が好奇心や警戒心をかきたてられるのは止むない事だが、この女にしてみれば、勘違いも甚だしいらしい。
(問題ないわね。これはグルーピーというより、信奉者だわ)
 会社の命運を共に背負っているチャンプに妙な虫がついてはと危惧し、自ら検分しにきたが、杞憂だったようだ。
「……気分を害されたのなら申し訳ありません。
 勇利は我が社の大事な財産ですから、万が一の間違いもあってはならないのです」
「……ふうん」
「あなたが真剣にメガロボクスへ取り組もうとしている事は理解しました。
 今後あなたの身分は私、白都ゆき子が保証しましょう。ご要望があれば、何でもおっしゃってください。
 ――ギアテクノロジーの発展のために、ご協力をよろしくお願いします」
 そういって差し出した手を、彼女は胡乱気な眼差しで見やった後、
「……了解、白都のお嬢様。こちらこそ、よろしく」
 そろりと、壊れ物を扱うように慎重な手つきで、握手したのだった。