だから、悲しまないで

 やぁ、久しぶりだね、親爺さん。元気にしてたかい? いつもの奴、頼むよ。
 何年ぶりだろう、ここに来るのは。二年、三年……おや、もう十年も経ってるって?
 そりゃ驚いた。道理で、あたしも親爺さんも、老けるわけだ。
 今まで何してたかって、そりゃいつも通りさ。不良魔術師相手にドンパチの日々。目新しい事なんか――あぁ、いや、あったね。実は今、ちょっとしたお荷物を抱えててさ。ヤバい品じゃないよ、人さ。
 そう、人。東洋人の、いつもむすっと暗い顔した、生意気なガキでさ。
 成り行きで、あたしが面倒見る事になっちまって……笑うんじゃないよ。あたしだってまさか、子供の世話する羽目になるなんて、思いもしなかったんだ。
 どんな子か?
 そうだね……さっきはお荷物だなんて言ったけど、なかなか使える奴だよ。度胸があるし、機転が利いて頭の回転も早い。おまけに魔術の才能もあるもんだから、とにかく優秀な弟子さ。
 何? 親バカだって?
 よしとくれよ、あんなでかい子供を持った覚えはないよ。
 実際、腹が立つほど上手いこと仕事をこなしていくからね、あいつは。全く、かわいげのない。
 ……あたしが嬉しそうに見えるなんて、親爺さんも耄碌したもんだ。
 それは……いや……。……あぁ、分かったよ、しつこく言い募らなくていい。
 確かにね、あれは良い拾いもんだよ。何でもかんでも、スポンジが水を吸い込むみたいに知識を身につけて、的確に倒す。狩りの手腕だけなら、天才的ともいっていいかもね。
 ――けどさ。才能と望みってのは、いつでも合致するわけじゃないだろう?
 あの子は、そりゃあ人殺しは上手い。
 だけど引き金を引くたび、一緒に自分の心も殺してるんだ。
 置いてきぼりにしてきたもの、自分の手で殺してきたものに絶え間なく苛まれ、救う為に殺したのに、誰も助けられない時に、身を引き裂くような絶望に襲われる。
 普通の人間は、そんなものに耐えられない。
 逃げ出すか、狂うか、あるいは殺すこと自体に快楽を見いだすか出来れば、楽なんだろうね。
 けどあの子は、何回も、何十回も、何百回も、自分を殺す。
 なんだろうね――たぶん、優しすぎるんだ。
 非道を犯す自分を許せず、悲劇をまき散らす世界が許せず、誰よりも死体の山を積み上げながら、誰よりも自身を傷つける。
 戦い方を教えたのはあたしだ。そいつは間違ってなかった。一度道を踏み外しちまった以上、もう元には戻れないとあの子も分かってたから、今まで従ってきてくれたんだろう。
 けどねぇ、親爺さん。
 あたしはそろそろ、あの責め苦から、あの子を解放してやりたくなってきたんだ。
 あの子の心は弱すぎる。なまじ鎧が堅固になっちまった分、中身は綿みたいにふにゃふにゃなのさ。
 あれじゃあいつか、破綻する。自分の掲げる理想にずたずたにされて、みじめにのたれ死ぬだろう。
 あたしも年をとったのかねぇ、親爺さん。柄じゃあないと分かってるんだけど。
 引きずり込んだのがあたしなら、きちんと元の世界に戻してやるのが大人の責任ってもんだろ?
 ……あぁ、親爺さんにそういってもらえると、嬉しいよ。
 そうだね。次の仕事が終わったら、ちょいと長い休みでもとってみよう。
 そうしたらここにつれてきて、親爺さんに紹介するよ。そういや、一緒に酒を飲み交わすなんて、今までした事が無かったな――

 天地がひっくり返るかと思うような衝撃。ついで爆発音。
「っ!?」
 一瞬の浮遊感に内蔵が持ち上がり、ついで、操縦席の後ろにある鉄扉をひしゃげるほどの爆発が一度に何重にも重なって響く。
 計器がずらりと並ぶコンソールに火が走り、カバーが一斉に弾け飛んだ。高々度に耐えうるコクピットの強化二重ガラスにひびが入り、そして、ごう、と唸りをあげて炎がすべてを包み込む。
 ナタリアには、逃げ場など無かった。
 もとより死人と化した乗客から逃げ延びた先が、このコクピットである。扉をがりがりとひっかく死人の群から生き延びる最後のチャンスは、このジャンボジェットを空港に不時着させる事のみで、今はまだその途上だ。
(駄目だ。死ぬ)
 どんな絶望的な状況であっても、ナタリアは諦めない。生存する事、それが唯一絶対の主義であり、その信念が彼女をここまで生かしてきた。
 だが、それも終わりだ。
 ジェット機は墜落する。すでに不自然にねじまがった角度で落下が始まっており、視界は炎と黒い煙で埋め尽くされ、何も見えない。
(なんてこった。死人が道連れだなんて、ろくな死に方じゃないよ)
 げほげほと煙にむせながら、ナタリアはこうなった原因に素早く考えを巡らせた。
 ジェット機はまだ海上を航行しており、機内に爆砕の魔術が仕掛けられた様子はなかったというのに、この有様。どう考えても、外からロケット砲か何かで撃墜されたとしか思えない。そして今そんな事が出来るのは、
(やってくれたね、切嗣)
 夜を徹して彼女と連絡を取り合い、今は空港でサポートのため待機していたはずの、弟子しかあり得ない。
(あぁ……ドジをふんじまった)
 よりによって、自分が手塩にかけて育ててきた男に殺される事になるとは、因果なものだ。
 もっとも、切嗣の判断は正しい。
 このままナタリアが空港にたどりつけば、地上にグールの群が放たれる。そうなれば被害はもっと広がっていただろう。ハンターたるもの、命の天秤にナタリア一人と地上の人々をかけてみれば、ここで消しておくのが正解なのだ。
(まあ……いいか)
 ナタリアは恨むでもなく、ただ彼の選択を受け入れた。どうせろくな死に方はしないだろうと覚悟はしていた。それに、何となくこうなるだろうとも、思ってもいたのだ。
(あたしを殺すのは、きっと切嗣だろう)
 実の父親を躊躇いなく射殺した少年を引き取った時から、そんな予感があった。
(あるいは、もう終わりにしたかったのかね)
 果てしなく続く血と硝煙の日々に、そろそろ飽きてきたのかもしれない。ナタリアはどこかで幕引きが欲しくて、だから、いずれ自分を殺す人間を育てたかったのかもしれない。
「ハ――バカバカしい。弱気にもほどがあるよ。このナタリア・カミンスキーが、さ」
 爆発で吹き飛ばされ欠けおちた体、燃える足、明滅する視界。命が刻一刻と失われていくさなか、ナタリアはまだ無事な方の手でたばこを取り出した。
 くわえたフィルターを最後の力で噛みしめながら、今や目前に迫った海を見据えた。そのどこかに居るだろう切嗣に向けて、
「……頼むから泣くんじゃないよ、切嗣。湿っぽいのは苦手なんだ」
 もはや届く事のない言葉を投げ捨てると、ナタリアは目を閉じる。血が滲んだその口元は、最後に笑みを浮かべていた。

 ――家族ごっこも、まぁ、悪くなかったからさ。