暗闇に包まれたジムの壁を探り、電気のスイッチを入れる。
かち、と小さな音と共に視界が明るくなり、勇利は眉を上げた。
(……ここで寝るなと言っておいたんだがな)
ロープに囲まれたリングが中央に場を占めるジム。
その片隅に置かれた長椅子の上で、女が横になって寝息を立てている。
タンクトップにスウェット姿。タオルを顔にかけているのは、トレーニングをした後だからか。無防備にすぎる。
浅くため息をつき、勇利はそちらへ歩み寄った。
揺さぶり起こそうとして手を伸ばすも、むき出しの肩に触れるのは躊躇われた。
なので、横に手をスライドして、タオルを取る。
「おい、起きろ」
「んっ……」
不意の明るさに呻いて、女は眉間にしわを寄せた。
目を開いて眩しげに何度も瞬くのを見下ろし、起きろ、ともう一度言う。
「……勇利?」
「ここで寝るな。家に帰れ」
「ん……ああ……」
寝起きでぼんやりした顔のまま、女は身を起こした。
短く切った髪の頭をばさばさとかいて、あくびする。
「うっかりしてた、少し寝るつもりが……何時だ、勇利」
口調も仕草も男じみているが、年若い女がそうすると、危うさばかりが目立つ。
危機感のない奴だと呆れながら時間を告げれば、女はもう一度あくびをして立ち上がった。
「あんた、こんな時間にトレーニングか。熱心にもほどがあるな」
「お前が言うな。俺は毎日、家に帰っている」
「そりゃ、あんたは
こっちはここでしかトレーニング出来ないんだ、大目に見てほしいね」
返されたタオルでごしごしと顔を拭いて、女は勇利を見上げた。
いつも素直に感情を映し出す眼差しが、ここではギラギラ飢えた光を帯びている。
女にあるまじきその鋭利な目は、初めてここに来た時とまるで変わらず――いや、以前にもまして強くなっているように思えた。
「……難儀な奴だな」
女の身でメガロボクスにはまるなんて。
後半は飲みこむ。そんな言葉はこれまで、腐るほど浴びせられてきたはずだ。
メガロボクスは男のスポーツ、女がやれるわけがない。
何度となくそう言われてきたと、吐き捨てるように言ったその顔は、よく覚えている。
押さえつけられ、決めつけられ、枷をはめられる不自由さ。それに抗う姿に自分は内心、共感を抱いている。
だからこそ、勇利はオーナーに進言して、彼女をジムに入所させた。
ギアは従来のボクシングにあった階級を廃止させ、体格差のある選手同士のマッチングを可能にした。
それならギアさえあれば、男女の力量差さえ埋められるはずだ。
そうすれば白都の技術力をより一層、世間に知らしめるだろうと説得までして。
「男と張り合うなら、人より何倍も練習しないと追い付かない。目標はメガロニアだからな」
しゅっ、と空気を切って、女の拳が勇利の胸に軽く当たった。にっと唇の端があがる。
「もしそこまでいけたら、ぜひあんたとやりたいね。キング・オブ・キングスの本気を、この目で見てみたいよ」
「……」
一瞬、苦笑しそうになって堪えた。
このタイミングで笑ったら、この女はきっと馬鹿にされたと感じるだろう。だが、
(お前は危機感がない。……煽るような事を言う)
夜中のジムに男と二人きり、この状況をもう少し深刻にとらえた方がいい。
しかし、彼女はそんな事を考えもしないだろう。ゆえに、
「出来るのならやってみろ、
その日を楽しみにしているさ」
勇利は誘うように答え、小さな拳を穏便に払ったのだった。