ない。
ない。
指輪がない!
風呂からあがって服を身につけた後、アーチャーは血の気の引いた顔で脱衣所の中を探し回っていた。
鏡の前、洗面所、棚、洗濯機……思いつく限り、床にはいつくばってまで目を皿のようにして探し回ったが、外した指輪がどうしても見つからなかった。
(入る前、確かにここに置いたはずなのだが……)
入浴時は指輪を外すのがアーチャーの癖だった。いつもはタオルのたぐいを収めた棚の上に置いているのだが、どこを探しても、銀の指輪は見つからない。
(どうする……本格的に探すのであれば、家具をどかさなければならないが)
濡れた髪をがしがし掻いて悩む。
(もし無くしたなどといったら、マスターが泣いてしまう……)
お揃いの指輪をいつも嬉しそうに眺めている少女は、アーチャーが水仕事をする時に外す事に不満を述べていた。アーチャーとしては出来るだけ濡らしたくないと思う故で、まさか自分に限って物を無くすはずがない、という慢心もあったのだが……こうなっては仕方がない。
(……よし。マスターが眠った後で探そう)
ほんの一時でも、彼女に失望させたくない。アーチャーはそう決意すると、タオルで髪をふく振りをしながら左手を隠し、
「マスター、空いた、ぞ……」
何気ない風を装って、外に出た。居間でテレビを見ている少女に声をかけ……ようとして、気づく。
少女は自分の左手を前に差しだして広げ、まじまじと見つめていた。
ほっそりした五本の指、そのうち薬指の根本には華奢な銀のリングがはまっている。それはいつも通りだが、今日は隣の中指に、もう一本指輪があった。
そちらはふた周りほどサイズが大きいらしく、輪投げの輪っかのようにぶかぶかで、全く彼女には合っていない。
――当然だろう。それは間違いなく、アーチャーの指輪なのだから。
(何をしているんだ? マスター)
無くした指輪があったので胸をなで下ろすが、次いで疑問が芽生える。そのまま観察していると、マスターは手を顔に近づけたり、離したりしながら、ためつすがめつ指輪を眺め続けている。そして手を左右に振ってくるくる指輪を回すと、
「……アーチャー、手大きいなぁ……」
えへへー、と何やらとろけそうな表情で、笑み崩れた。
(……何だそれは……)
その、いかにも幸せ、といいたげな顔があまりにも可愛らしくて、アーチャーは口元を手で隠した。駄目だ顔がにやける、こんなだらしない表情でマスターの前には出られない。しばらく目をそらして、何とか平静に顔を整えると、
「……マスター、それを返してもらえるかね」
すたすた近寄り、声をかける。
「わっ、アーチャー! えっ、いつあがったの?」
「さっきだ。指輪が無いので探していたのだが、君が犯人だったとはな」
「う。……ごめん……さっき手を洗いにいったら、置いてあったから」
かぁっと赤くなり、彼女は慌てて、ぶかぶかの指輪を差し出してくる。
「いや、無くしたかと思っていたから、ほっとしたよ」
それを薬指にぴたりとはめ、ついでに彼女の左手を自分の手と重ね、ぎゅっと握る。
「? 何、アーチャー」
突然の握手に目を瞬かせる少女に、
「大きさ比べなら、実物の方がよかろう?」
アーチャーは腰を下ろして微笑む。彼女はえ、と目を丸くした。それからワンテンポ置いて、
「……うん、そうだね。アーチャーの手、おっきくて暖かいから、好き」
はにかみながらそんな事を呟き、にぎにぎ、アーチャーの左手の感触を確かめるように指を動かした。
――その、繋いだ手の温もりが。
――ふれ合う薬指のリングの音が。
――ただひたすらに愛しい。
「……あぁ。私も、君のこの小さな手が好きだとも」
滑らかな感触の細い手を包み込み、アーチャーは穏やかに笑いかける。
こんなささやかな日々が、明日も、明後日も、その後もずうっと続きますように、と祈りながら。