たまには神木を参るか、と気まぐれを起こしたのだが、日ごろの無沙汰のばちが当たったのだろうか。
いつの間にか見上げるほどの巨木となったその場所へ足を運んだ大和は、その根本に腰を下ろした古い友人の姿にまず驚き、
「……………」
その膝に若い娘が頭を預けて横になっている光景を認めた途端、回れ右をした。気づかれる前に去ろうとしたのだが、
「待て、大和。なぜ逃げる」
苦りきった声がその足をとめさせた。なぜ止める。この場で一番気まずいのはお前ではないのか。
呼びかけを無視して行くべきか、顎を上げて片方の目で空を睨んでから、大和はしぶしぶ体を戻した。振り返ってみても状況は変わらず――九葉が女に膝枕をしている。
「……こっちこそ聞きたい。お前はこんなところで何をしてるんだ」
近寄ってみれば、九葉の膝を独占しているのは、誰であろう討伐隊の隊長だった。
よほど心地がいいのか何なのか、目を閉じてすーすーと気持ちよさそうな寝息を漏らしているのが、その前に立って見下ろすとよく聞こえてくる。九葉は声通りに苦虫をかみつぶした顔で、
「好きでしているわけではない……。たまにはここの者に挨拶をしていこうかと足を向けてみたら、こやつが居た。
ちょうど昼寝をするところだから膝を貸せとごねられて、このありさまだ」
じろっと大和を見上げてくる。
「大和、こやつは貴様の部下だろう。この不始末をどうしてくれる」
「不始末……と言われてもな」
確かにこの娘ならそれくらいの我儘を貫きそうだ、と苦笑が漏れた。
今世のムスヒの君は何事にも恐れを知らない。それは戦においても、私事においても同じだ。
誰であろう、北を見捨てた鬼と蛇蝎の如く嫌われ、本人もそれを承知で傲岸不遜にふるまう霊山軍師を相手に、モノノフになって1年も経っていない新人が膝枕を強要するなど、豪胆にもほどがある。
いや、豪胆というよりこれは、彼女の人徳によるもの、というべきか。
「任務以外の事で口うるさく言うつもりはない。嫌ならば、お前が拒否すればいいだけの話だろう、九葉」
頭上からさわさわと葉擦れの音が降ってくる。秋晴れの午後、確かにここなら昼寝も気持ちよかろうと思いながら言うと、九葉はふう、と嘆息して眉間のしわを深くした。
「否やを言う前に寝入られては、如何ともしがたい。……昨日依頼した任務で、いささか無理を強いたからな。疲弊するのも致し方あるまい」
軍師が依頼してきた任務は確かに難儀だった。
溢れる小鬼を片付け、更に同時に襲撃してきた大型鬼を三体相手取る必要があったのだから、並のモノノフならばとてもこなせるものではない。
(多少苦戦したとはいえ、あれをどうにかしたのだから、やはり大した奴だ)
人手が足りないので大和も同じ任務に同行したが、彼女の働きは実に見事なものだった。
ウタカタで彼女の著しい成長を感じていた大和だが、実戦の場で見ればそれはもはや感嘆に値した。
(俺が見てきた中でも、お前は最強のモノノフだ)
すっと膝をつき、彼女の寝顔を見つめる。
一人の負傷者も出す事なく鬼を撃退したのはさすがだったが、しかし隊長の疲労の色は濃く、よろけて歩けないので息吹の肩を借りていたほどだ。
「……そうだな。俺も今日はゆっくり休めと言っておいた。これほど疲れた顔をしているのを起こすのは、忍びない」
「だからといって、私を枕にする事もあるまいに……」
九葉はますますしかめ面になって呻いた。
どれほどの時間こうしていたのか知らないが、どうやら足がしびれているらしい。体を動かしたいが、起こしてはまずいと我慢しているようだと察して、大和は笑ってしまった。
「こいつを使って、寝心地のいい枕を三つも作らせたのはお前だろう。その恩返しと思えば、易い事だ」
「熟睡したいというのなら枕ぐらい貸してやる、家の寝床で使えばいい。大体、男の膝枕で何が心地よいものか」
「さぁ、わからん。俺も昔、ねだられた記憶があるな」
そういって大和は、本来の目的だった社を見上げた。
神木の前に作られた小さな社は、隊長が丹念に掃除をしているためか、ずいぶん綺麗になって、ぼんやり輝きさえ帯びているかのようだ。同じ方へちらりと目を向けた九葉は、ああ、と頷いた。
「あれも妙な女だったな。貴様の膝枕で耳掃除をしているのを見た時は、目を疑ったものだ」
「その言葉、お前に返すぞ。今まさに同じ状況だろう」
知った事か、と九葉はとうとう我慢しかねて腰を上げた。そのまま彼女を放り出すのかと思いきや、腰を叩き、足の位置を変えてもう一度座りなおす。
その際、わざわざ彼女の頭を手で支えているのを見て、大和はもう一度唇を緩めた。
「我儘を言えるのは、こいつがそれだけお前に気を許しているんだろう。俺の妻もそういうところがあった」
「大和、貴様の惚気など聞く気はないぞ。あれの気性なら私も心得ている」
むっとしたように口を曲げるのは、彼も大和の妻と親しく交流していたからだ。
おそらくは、九葉もまた彼女に恋をしていたのだろう、と大和はうすうす察していたが、その件について言及した事はない。
九葉も口にしなかったので、あえて触れなかったのだ。
「――そう思えば、こいつはあいつに似ているかもしれないな」
だが、同じ人の思い出を語れる相手は、もうこの男しかいない。
大和が目を細めて社を見つめると、九葉はわずかに頭を傾けた。
す、と俯けた横顔に、揺れた枝葉の影が走り、その目元を隠す。
「あいつは自由で、まっすぐで、人をすぐに信じるお人よしだった。そのくせ俺より芯が強くて、口ではとても敵わなかった」
「……あぁ、そうだった。本当に手のおえない、厄介な女だったな」
ぽつり、と同意を漏らした九葉は、何気ないしぐさで膝に乗った頭の上に手を置いた。似ているな、と呟き、それから低く言った。
「ならばこやつは私が娶るか。貴様があれを妻に迎えたように」
「な、何?」
唐突な発言にぎょっとして顔を向けると、九葉はふふんと鼻で笑って見せた。
「冗談だ。そう驚くな」
「……お前の冗談は、冗談に聞こえん」
根がまじめで冗談を解さない男が、冗句を口にするのはやめてほしい、心臓に悪い。本気で驚いたこちらにあきれ顔を見せて、九葉は彼女に乗せていた手を横に開いた。
「冗談に決まっているだろう。老いたりと言えどこの九葉、分別を失うほど耄碌してはいない」
「おいおい、俺よりも年下の癖に、年寄などと言うなよ。急に老けた気になる」
「この年になれば二、三才の差など関係あるものか。私も貴様も立派な年寄だ。若い娘に入れあげるようなみっともない真似が出来ると思うか」
それはもちろん、と言葉をつづけようとした大和は、ふと気づいた。
相変わらず九葉の膝で目を閉じている隊長、しかしいつしかその寝息が乱れはじめ、頬に血の気が上ってきている事に。
その意味を考えた大和は、つい吹き出しそうになってしまった。
「さぁ、それはわからんぞ九葉。老いらくの恋という言葉もあるくらいだからな。
あるいは、そいつがお前に入れあげる事だって、無いとは限らんだろう?」
もしそうなったら、冷酷無比と恐れられるこの男がどれだけ狼狽するだろう。想像するだけで笑いがこみあげてくる。
「……貴様、何がそんなにおかしい。私をからかうのがそれほど楽しいか」
こちらを胡乱げな眼差しで睨んでくる九葉は、まだ彼女の様子に気づいていない。
大和はニヤニヤしながら、これ以上邪魔をするのも野暮だなと退散する事にした。
古い友人の恋は、相手も相手なだけに、かなりの見物になるだろう。我ながら意地が悪いとは思うが、しばらく退屈せずに済みそうだ。