はじめは些細な情報だった。
 あてどもなく彷徨う小さな妖精がいる。
 ただ、それだけ。

 人間の街は夜も明るい。空の闇を押し返すように煌々と光る街並みを、风息フーシーは好んではいなかった。
 だが、長く生きていればある程度順応は出来る。いや、しなくてはならない。そうしなければ、妖精はあっという間に人間に飲まれて消えてしまうからだ。
 风息はそれを、全てよしとしない。
 あえて人間を傷つける事を普段は控えてはいるが、必要であれば断行する。
 そして、虐げられている妖精がいるのであれば、可能な限り手を差し伸べたいとも思っている。
 だから、その話が耳に入った時も、いつもと同じように様子を見に行った。

 その妖精は、黒い子猫の姿をしていた。

 初め目にした時ふっと心が和んだのは、自身と同じ仲間と思ったから。
 ついで、ハッと息を飲んだのは――子猫の持つ力を、見極めたから。
「…………」
 街を彷徨い人間から食事をかすめ取る子猫を目で追いながら、夜の暗がりに身を潜めた风息は眉間にしわを寄せた。そして、その場から跳ぶ。

「あの妖精は領界を持っている。俺たちの仲間に加えようと思う」
「そのために、まず人間に襲わせる、と?」
 島に戻り、虚准シューファイにだけ打ち明けた。
 数百年を経た巨木の根元に腰掛け、静かな目でこちらを見る氷の妖精は、算段を確認するように繰り返した。
 ああ、と頷く。
「あの様子ではきっと住む場所を追われ、孤独で警戒心が強くなっている。そんな時に人間に襲われ、同じ妖精に救われるのであれば、すぐ信用するだろう」
 姑息な手段だ。
 だが、手段を選んではいられない。
 土の温もりに手を当て、そこに宿る命を感じながら、风息は言い聞かせるように呟く。
「俺たちにはあの力が必要だ。あれさえあれば――人間を排除した、妖精だけの世界を作れる」
「…………」
 虚准は答えない。
 口数が少なく、表情もさほど変わらない歳経た妖精は、巨木のごとく揺らぎがない。
 その存在感に安堵することもあれば、時に不安を覚える事もある。自身の選択に迷いがある時は、特に。
「……間違っていると思うか? こんなやり方。最初から、全てを話すべきだと?」
 もしここに洛竹ロジュがいたら、そういうに違いない。
 真っすぐな、素直な若木の妖精はごまかしを嫌う。
 だからこそ計画の全てを語らず、ただ妖精が心置きなく生きられる場所を得たいと言う理想のみを教え聞かせている。
 しかし、人間はあまりにも多く、その数の前に妖精は無力だ。
 であれば、こちらも策を弄さなければならない。そうしなければ生きていけない。
 それは分かっている――だが分かっていても、時に己の浅ましさに、疑問が芽生える瞬間もある。
「风息」
 虚准が名を呟く。立ち上がり、ぽん、とこちらの肩に手を置いた。
 見上げれば、彼は口元にほのかな笑みを咲かせて、
「最後まで付き合う。お前の選択を信じる」
 言葉少なに、揺らぎのない心を音に乗せて渡してくれる。
「――――――」
 声にならない。ぐっと顎に力を入れ、俯く。
 手が離れ、虚准は草木を踏み分けて静かに立ち去った。
 肩に残った冷気を自分の手で覆い、もう片方の手を見下ろした风息は、拳を形作る。
(……人間から隠れてこそこそ暮らしていくのは、もうごめんだ)
 力が欲しい。その想いこそがきっと、自分の力の源――強奪が見出した、かの妖精の能力。
 あれこそが求めていたもの。
 理想を現実に変える唯一無二のもの。
 だからこそ……手に入れるために、手段は選ばない。
 风息は立ち上がり、転送門の方角へと歩き出す。
 その胸にはもはや一片の迷いもなく、ただ一途に、真摯に、強固に、妖精たちの未来を思う心が根付いていた。