救護詰所を出た一同は、黒崎を探す事にした。
皆の話を聞いていると、やはり黒崎が旅禍のリーダーらしい。
「他の奴に取られる前に、あいつを見つけねぇとな」
更木が心底嬉しそうな、とんでもなく凶悪な顔で笑ったので、雪音は思わず、顔も知らない旅禍の命運を祈ってしまった。
他の人ならともかく、更木剣八に目をつけられるなんて、不運過ぎる……次こそ死ぬんじゃないの、黒崎。
そんなわけで、とりあえず瀞霊廷の中を走り始めた訳だが。
「剣ちゃん、次はみぎー!」
「え、あたしは真っ直ぐだと「みぎだからね剣ちゃん!」
更木の肩に乗ったやちるがさっきから道案内をしているのだが、それを聞くたび、旅禍の少女……井上織姫が異論を唱え、けれど鮮やかにシカトされていた。
雪音は霊圧感じるのが下手なので良く分からないが、やちるの示す方向にはちょっと、疑問を感じてしまった。
(やちる副隊長、あたしもさっきから、ぐるぐる同じ所を回ってる気がしてですね……)
「副隊長、やっぱ織姫ちゃんに任せた方がいいんじゃないスか。俺、副隊長の案内イヤなんすけど」
雪音と同じ事を思ったのか、刀を肩にかついだ一角が口を尖らせて言うも、やちるはやっぱり無視して「次はあっちー!」と元気に声を上げている。
あぁ可愛いなぁ副隊長……でもこのまま闇雲っぽく走り回っていいんだろうか……などと考えながら走っていたら、隣から乱れた呼吸が聞こえてきた。
「?」
視線を動かすと、雪音の右側を駆ける旅禍、確か石田? が、荒い息を吐き出していた。
元々白い顔色は血の気が引いて、汗がぽつぽつ浮いていた。手で押さえた胸元には白い包帯が見える。
それにハッとして、雪音は他にも目を移した。
大小はあるけれど、皆それぞれ怪我を負っていて、本来なら入院してなければいけないはずだ。こんな風に走り回っていたら、悪化するに決まっている。
「更木、隊長!」
気がついたら黙っていられず、雪音は弾む息の下から声を張り上げた。更木がちらっと肩越しに振り返る。
「どこか、一休み出来るとこ、探して、下さいっ」
「あぁん?」
「傷の、手当て、しますから!」
「手当だ? 馬鹿が、いらねぇよ」
「はぁっ!?」
一刀両断に切り捨てられて、こめかみ辺りにビキッと音が走った気がした。
走り続けて、そろそろ痛んできた足にぐんっと力を込めて前に体を押し出し、雪音は手を広げて立ちはだかった。
「!」
衝突しそうになって、石畳を削る勢いで足を止めた更木を睨み上げ、
「こんの体力馬鹿隊長が、あんたはいらなくても他の奴はいるってのよ! 四の五の言わずに休ませなさい!」
腹の底から、怒鳴りつける。それを聞いた更木の眉がぴくん、と跳ね上がった――
「……雪音ちゃんって時々、信じられないくらい度胸あるよね」
「は? 何か言った?」
「いや、何でもないよ」
なにやらブツブツ言う弓親が離れていったので、雪音は背中の救護鞄を下ろし、治療の準備を始める。
怒声を浴びせかけた後、更木は舌打ちしながらも、黒崎から休憩所探しへと目的を変更してくれた。
色々文句もあるが、更木のこういうところは隊長らしくて、懐深いと思う。正しい事であれば、意外とちゃんと受け入れてくれるのだ。
雪音の指示に文句を言う荒巻に探させた手近な倉庫に身を潜め、一同はひとまず休憩をとる事にした。
「……治療なんて、必要ない。僕に触らないでくれ」
青い顔した石田が言う。あほかこいつは。雪音はイラッとして、鼻を鳴らした。
「今にも倒れそうな面してるくせに、偉そうな口叩いてんじゃないわよ。
大体、今あんたが倒れたらあたし達が迷惑なの。足手まといになりたいなら、さっきの牢に戻れば?」
「なっ……!! な、何だ君は、失礼な!」
キーキー騒ぎ出す石田は無視。そうだ、懐に痛み止めを入れてたはず、と懐中に手を入れて、
「……あっ!!」
雪音は思わず叫んでしまった。大音声に、それぞれ体を休めていた皆がびくっとして、こちらに注目する。
「バッカてめぇ、いきなりデケー声出すなよ! 誰か来たらどうすんだ!」
入り口で外を窺っていた岩鷲君が振り返り、自分も大きな声で注意してくる。
雪音は「あ、いや、何でもない、気にしないで」と慌てて言って、石田に向き直った。
何でもないと言ったけれど、胸がまだドキドキしている。
いつも懐に入れている銀の棒の感触が無くて、つい驚きの声を上げてしまったのだ。
(やばい……。昨日休んだ部屋に、あれ忘れてきちゃった)
昨日の朝、突然聞こえた悲鳴に驚いて、取るものもとりあえず出てきただ。 (もし、また鬼道の封印が解けそうになったら、どうしよう。あれがないと……ん?)
そこでふと気がつく。
そう言えば今、一角や更木隊長といるのに、全く圧迫を感じない。
普段であれば、大きな霊圧を相手にすると頭が痛くなって、気持ち悪くなって、自分の霊圧がひどく不安定になる。昨日もそれで寝込んでしまったくらいほどだ。
(……もしかして、あたしの鬼道、結構強くなってきたんだろうか。
だから、こんな化け物みたいな人たちと一緒にいても、平気になってきたのかな)
そんな事を考えてちょっと嬉しくなった雪音は、しかし次の瞬間ぎょっとした。
石田の怪我の部分に手を差し伸べて、治癒の術をかけようと意識を集中したのに、
「な……?」
力が、出ない。
まさか、と思ってもう一度、自分の中に意識を向けてみたけれど、まるで手のひらから滑り落ちていくように、力がこぼれていく。
「……どうしたんだ、急に青くなって」
硬直した雪音に、石田が訝しげな声をかけてくる。
その言葉に反応してか、後ろに居た一角が、振り返る気配がした。
「……っ」
背中に視線が刺さるのを感じ、ゾっと寒気が走った。雪音は自分の異変を見破られるのが怖くて、
「な、何でもないわよ! 早く上脱いで!」
「え、ええっ!?」
石田に怒鳴りつけながら救護鞄へ手を突っ込み、薬の治療に切り替える事にした。
(どうしよう、何で力が出ないの)
鬼道で霊圧を押さえてるが、こんなに力が出ないほど強い封印をかけた訳ではないのに。
焦りながらガチャガチャ薬瓶を出していたら、
「……あの~、鑑原さん」
後ろから声をかけられる。
振り返ると、井上が腰を折ってこちらをのぞき込んできた。えへへ、と可愛らしい感じで笑う。
「あたしにもお手伝いさせて下さい!」
「え……あなたが?」
「はい! 鑑原さんって怪我を治す力を持ってるんですよね? あたしの盾舜六花もそうだから、お手伝い出来ると思って」
「あぁ、そうだね。井上さんの方がまともな治療してくれそうだ」
「何か言ったかしらイヤミ眼鏡」
「い、いたたたたたた何するんだ怪我してるところを押さえるなよ!!」
石田を悶絶させながら、雪音は井上に頷いてみせた。
「いいわ、手伝って。こいつはあたしが看るから、あなたは茶渡君をお願い」
「はいっ!」
井上はびしっと敬礼し、跳ねるようなステップで、隅っこに腰を下ろした茶渡へと駆け寄っていく。こんな状況だというのに、元気で明るい子だ。
(確かにあの子なら、あたしより優しい治療するんだろうな)
そんな事を思いながら、抵抗する石田を押さえつけて上着を剥いでいたら、
「双天帰盾、私は拒絶する!」
凛とした声が響き、薄暗い倉庫の中にぱっと光が広がった。
つい振り返ると、茶渡の体を細長く淡い光が包み込んでいる。
それは四番隊のような治癒術とは全く異なる術のように見えて、雪音は眉根を寄せた。更に、
「……はいっ終わったよ、茶渡君!」
術を使い出してから一分も経たないうちに終了宣言をしたので、思わず「はぁ?」と声を上げてしまった。
茶渡がム、と短く声を発してから包帯を外すと、本当に傷が跡形もなく消えていて、雪音は目を丸くする。
(な、何あれ、ちょっと早すぎない!?)
看てはいないけれど、茶渡の傷だってそう軽くは無かったはずで、絶好調時の雪音でも、あれほどに早く治す事なんて出来ない。
「……いつまで僕を裸でいさせる気なのかな。早くしてくれないか」
硬直していると、上半身脱がした石田が不機嫌な表情で唸る。
それで我に返った雪音は、慌てて薬の瓶を開けた。けれど、その指が震える。
井上織姫は旅禍、ただの人間なのに、自分より優れた治癒能力を持ってる。今力が出せない自分では、彼女よりも役に立たない。
(どうしよう。あたし、何も出来ない)
ルキアを助けたいと、そのために飛び出してきたのに、やっぱり何も出来ないんだ。
(……違う)
沈みそうになるのを奮い立たせる為に、雪音はぐっと歯を食いしばって顔を上げた。
治癒術ほど即効性はないが、雪音の作った薬だって効き目が高いのだから、全く無駄になるわけじゃない。
今、出来ない事を考えるよりも、今、自分がやれる事に集中しなければ。
そうしなきゃ、いつまで経っても前に進む事なんて出来ない。
「……終わり、次! 岩鷲君来て!」
「えっ、俺かよ!?」
手早く石田の手当を終えて、雪音は声をあげた――自分の無力さを嘆く間を与えないように。