浅い眠りから目を覚ましたとき、薄暗い牢の中に誰かの気配がした。何度か目を瞬いてはっきりしてきた視界に映ったのは、
「…ゆきね、さん?」
四番隊の雪音だった。なぜ彼女がここにいるのだろう。
恋次がぼんやり呼び掛けると、雪音は何だか不機嫌な顔でこちらを見下ろしてくる。そして、
「阿散井君……こんな怪我してなにやってんのよ、馬鹿?」
いきなり罵られた。え、何でだ、俺なんかしたっけ。
明らかに怒ってる雰囲気に戸惑ったが、雪音は眉間にしわをよせたまま、恋次の体に薬を塗ったり、包帯を巻いたりしている。
ああそうか、夢うつつに、四番隊の奴がかわるがわる、治療に来てるのは感じていたが、今度は雪音が来てくれたのか。
「……ありがとう、ございます」
「何が」
「治療、してもらって」
「仕事だからお礼言われるようなことじゃないわよ。
それよりこんな怪我して、おまけに牢に入れられて何してんの? っていうか、朽木隊長、馬鹿じゃないの? 敵前逃亡したわけじゃなし、何で旅禍と闘った部下を牢屋にいれてんの? こんな怪我してるのにこんなところに放置しておくとか、意味わかんないわよ、ほんっと、六番隊って馬鹿ばっかりじゃないの」
イライラと言葉を吐き出す雪音はいつもよりさらに怒っていて、だがその手つきはいつも以上に優しい。
「……心配かけて、すみません」
殊勝に謝ると、薄暗い中でもわかるくらい、雪音の顔が赤くなった。
「心配なんてしてないわよ、あたしは怒ってんの!」
「はぁ……」
俺怪我してんのに、何でこんな叱られるんだろう。
釈然としないまま口を閉ざすと、しばらく雪音が治療を続けるひそやかな音だけが、牢の中で響き続けた。
そうして彼女が再び口を開いたのは、治療を終えて、鞄に物をしまい始めた頃だった。
ねえ阿散井君、と躊躇いがちな声音で呼びかけてくる。
「藍染隊長のこと……聞いた?」
「? 何をですか」
「……そっか、まだ知らないんだ」
「なんかあったんすか」
ルキアの処刑には何か裏がある。藍染がそう言っていたのを思い出した恋次は起き上がろうとした。
それを手で押し止めた雪音は、迷うように視線をさまよわせた後、
「亡くなったわ。ついさっき」
ぽつり、呟いた。
「え?」
なくなった? 言葉の意味を理解したとたん、体が勝手に跳ね起きた。驚く雪音の腕をつかみ、
「亡くなったって、藍染隊長が死んだんですか!? どうして!」
勢いをつけて詰め寄ってしまう。
「わ、わかんないわよ、今調査中で……ちょ、痛いっ……!!」
雪音が顔をしかめたので、慌てて手を離す。やべ、びっくりしてつい力がはいっちまった。
「す、すみません、大丈夫すか」
「大丈夫だけど……そんな怪我してるのに元気ね、あんたは」
「体力だけが取り柄っすから。それより藍染隊長の事、なんかの間違いじゃないんですか」
「……」
あまり話したくないのか、雪音は口ごもったが、恋次の視線に負けて、ため息混じりに口を開いた。
「卯ノ花隊長が死亡確認したから、間違いないわ。それに……」
「それに?」
雪音はぐっと、手を握り締めて俯いた。
「……発見された時、藍染隊長……壁に刀で磔にされてた、って」
「な……」
恋次は言葉を失った。何だそれ、まるでさらし者じゃねぇか。
「旅禍と闘って、ですか」
まさかと思いながら問うと、雪音は首を振った。
「わからないわ。さっきもいったけど、今日番谷隊長たちが調査してるところだから」
「そうですか……ぃててっ」
勢い任せで起き上がったせいで、傷がずきずきっと痛んだ。
「寝てなさいってば、馬鹿」
雪音がまた怒った口調で言ってきたが、
「これくらい、平気です」
反発するように言い返す。
(情けねぇ、俺の知らないところで事態がどんどん深刻化してるってのに、こんな怪我で動けねぇなんて)
歯噛みして唸る恋次の背に手を当てた雪音が、はばかるように声を低くした。
「阿散井君、藍染隊長を……したのって、旅禍、よね?」
ここにずっと閉じ込められてた恋次に、そんな事がわかるはずもない。
そう言おうとして、だが雪音を見たら、言葉が舌先で解けた。雪音はひどく心細そうに眉根を寄せている。こんな顔、見るの初めてだ。
「雪音さん?」
「ねぇ、そうだよね?」
すがるように問われて、恋次は困ってしまった。
なぜ雪音はこんな事を言い出すのだろう。今調査してるところだというのは、雪音自身が言ったのに。
恋次は言葉を探して口を曲げ、それから頭を振った。
「ほんとのとこはまだ分かりませんけど、俺にはそうは思えない」
「……何で」
「あいつは。黒崎は、そんなみせしめみたいな事、しません」
「くろさき?」
「俺が闘った旅禍です」
雪音は一瞬唖然として、それから馬鹿、と声を荒げる。
「何言ってんのよ、あんたにこんな怪我させた奴を何でかばってるのよ!」
「あいつはルキアを助けに来たんだ」
「……え?」
拳と掌をばちんと合わせて、恋次は薄汚れた壁を睨み付けた。
(そうだ、あいつはルキアを助けに来た)
恋次にはどうしても出来なかった事を、人間の癖に、あんなにボロボロになってもまだ諦めずに。
馬鹿みたいにまっすぐ、ルキアを助けると言った黒崎が、闘った相手を侮辱するような真似をするか? いや、
「あいつは、そんな事しねぇ」
「阿散井君……」
力を込めて呟くと、雪音は戸惑って身を引く。
しばらく沈黙が落ちた後、恋次の肩に細い手が触れて、そっと後ろに押した。
「……分かったから、もう横になって。傷が開いちゃう」
「はい……」
硬い寝台に大人しく背中を預けた恋次は目を閉じた。
気が逸って仕方ないが、今は体を回復させる事に集中しよう。自分に出来る事、しなければならない事を考えながら。
雪音は少しの間寝台のそばに立ってたが、やがて踵を返して牢から出て行った。
がしゃん、と重たい音を立てて閉まった格子の向こうから、
「……どうして?」
小さな囁きが聞こえたような気がしたが、それに答える間もなく、恋次はまた眠りへと落ちていった。