あたしは、ちゃんと笑えただろうか。和解の言葉を口にして、あの人を拒絶しながら。
「雪音ー!」
「うわっ!」
後ろからいきなり首に手を回され、思わず悲鳴を上げてしまった。わさ、と金髪が耳にかかる。
「ら、乱菊さん?! く、首締めてる締めてる!」
「んっふっふっ~、きょ・う・こ・そ、飲みに行くわよー!」
そのままずるずる引っ張っていかれそうになって、雪音は慌てて踏ん張った。
「ちょっと、あ、あたしまだ仕事がっ」
「明日明日! 仕事は逃げないから!」
「い、いやー?!」
というわけで、強制的に飲み会参加になってしまった……。
「うーん……」
とりあえず隅っこの方に座った雪音は、酒がなみなみつがれた杯を見下ろす。
久しぶりの匂いに喉が早くも乾き始めてるけど、しかし、飲み干すには躊躇してしまう。
そもそもあの時、縛道がゆるんだのは、際限なく飲んで、気をゆるみまくったせいだ。
だからあれから、飲み会参加を自主的に禁止して、部屋でも飲まないように我慢してる。
……まぁこれまでガンガン飲みまくってた分、禁酒は相当きついんだけど、あたしは一度飲み始めたら、ぱーっと盛り上がっちゃうからなぁ。途中で止められるならともかく、そんなの絶対無理だし。
(どうしようこれ、飲みたいけど、飲んだらぐだぐだになるし……)
「何してるの? 雪音ちゃん」
「へっ?」
悩んでるところに急に声をかけられて顔を上げると、弓親が雪音を見下ろしていた。前を横切り、とんっと横に座って、
「飲まないの? それ」
こちらの手元を指さしてくる。
えぇっと、と雪音は曖昧に首を傾げた。縛道の事は話せないが、飲んべえの雪音が飲めない、自然に聞こえる理由は何かあるだろうか。
「…………」
不自然に落ちた沈黙の間、じ、とこちらを見ていた弓親は、猪口にとっくりを傾けながら、
「今日は一角が居ないから、酔っても他の人が送ってくれるよ。そう、用心しなくても良いんじゃないかな」
淡々とした口調で言う。
「……え」
一瞬意味が分からなくて目を瞬いた雪音は、間を置いてから気がついて、慌てた。
「え、違う、違う違う! 一角関係ないし!」
「そう?」
弓親はく、とあおって、息を吐き出した。
「雪音ちゃんが飲み会来なくなったのは、一角と一悶着あったせいかと思ったけど」
「う……」 ……まぁ、それは……全くの無関係、ではない。縛道がゆるんだもう一つの原因は、一角だし。
だが、さっき考えてた事の方が主な理由だったので、雪音は手を振った。
「違うわよ。このところ仕事忙しかったし……それに、ほら、あたし前から飲みすぎだったから、隊長に控えなさいって怒られちゃってね」
これは本当の事で、嘘ではない。建前としては十分と思わず息をついたら、弓親は流し目で視線を送ってきて、
「雪音ちゃん。一角の気持ち、分かってるよね」
辺りをはばかるように低い声で呟く。
「!」
不意の言葉に、思わず背筋が伸びてしまった。見返したら、弓親は無表情だ。
「一角から仲直りの話聞いたけど、狡いと思うよ。一角の気持ち無視して、友達のままでいよう、なんてさ」
こちらの心の中まで全部見通すような鋭い目が、雪音を見ている。凍り付いたように、その目を見つめ返す雪音に、弓親は淡々と続けた。
「分かってて、いつまではぐらかすのかな。それとも、この男は自分に惚れてるって、優越感に浸っていたいの?
何を言っても何をしても、一角なら傷つかないし、裏切らないと思ってる?」
「……違う、わよ」
ぐ、と歯を食いしばって、弓親の視線から逃げた。杯を握りしめると、手の震えでさざ波が起きる。
弓親の言う事は当たっている。
押し倒された上、あんな目で見られれば、一角が自分の事をどう思ってるか、いくらなんでも分かる。
一角が土下座した時、どれだけ真剣に向き合ってくれているのかも伝わってきて、正直嬉しいと思う気持ちもあった。
――だけど。だけど、あたしは。
「……怖いの」
言葉を落とすと、弓親は猪口を持った手を下ろして、
「一角が?」
問いかけてくる。あぁ、寒椿がしてきた問いを、またされている。それなら、同じ答えを返すしかない。雪音は顔を歪めて笑った。
「違う、自分が」
一角がどうこう、ではない。
「一角がいい奴だと思うから。だから、駄目なの」
ただ、あたしが。こんなに弱くて、自分の事さえどうにも出来なくて、あがいているだけのあたしが、
「あたしが、一角に相応しくないの」
弓親は、雪音の足りない言葉から何か察してくれたのか、それ以上何も言わず、そばから離れていった。
雪音は壁にもたれかかり、深く息を吸い込み、はき出した。
ざわざわと騒がしい店の中、一人だけ音のない世界に迷い込んだように、耳が遠くなる。
――手放したくなくて、近づきたくもなくて、だから友達でいようなんて、都合の良い申し出。
やはりあのまま、会わずに縁が切れるのを待っていたほうが良かったのかもしれない。
(もう、誰の手にもすがらず、生きていけると思っていたのに)
雪音は手の中の杯を見下ろし、それを静かに卓の上に置いた。もう、飲む気分では無くなっていた。