ウタカタ禊場事情

 きっかけとなったのは、相馬が久方ぶりにウタカタへ訪れた数日後の出来事だった。
 異界で鬼と戦い続けるモノノフにとって、穢れを落とす禊は重要なものだ。瘴気に長く身を晒していれば、常人より耐性があるモノノフといえど無事では済まない。
 できれば任務を終えた後すぐ、それが無理ならせめて2・3日に1回は禊を行うべきではある。が、
「息吹ー禊いこー」
「おういいぜ、隊長」
 異性を誘って禊へ赴くウタカタ討伐隊隊長の行動を、相馬は全く理解できずにいた。

「……なぁ、一つ聞きたいんだが、いいか? 禊場は男女で時間が分かれていたと思うんだが、ウタカタの規則は変わったのか?」
 もやもやと抱いた疑問を、いつまでも放っておけるほど相馬は気が長くない。
 昨日見かけた光景に首をひねりながら任務を終えた後、ウタカタへの帰途をたどりながら、隊長へ尋ねてみた。
「うん? あー、八年前がどうだったのかは知らないけど、今も男女で分かれてるよ」
 ホロウと暦に挟まれて、かしましい話に付き合っていた隊長が振り返った。そうだよな、と相馬はまだ首をひねる。
「なら、どうしてお前は息吹と一緒に禊をしてるんだ? 男女同時の時間があるのか?」
「それは私も不思議でした。だって先輩、禊の時って……恥ずかしくないですか?」
 暦が頬を染めてこそこそっと囁くのが聞こえる。
 禊の際はもちろん裸ではなく襦袢を身に着けているが、水にぬれれば当然透ける。
 透けてはならないところは見えないようになっているものの、着物が肌に張り付いている様は、下手をすると裸より恥ずかしいかもしれない。
 多感な年齢の少女ならなおさら、羞恥に身が縮む思いだろう。
 しかし、暦とそう歳も変わらないだろう隊長は平然としたもので、
「えっ、別に恥ずかしくないよ、ちゃんと服着てるじゃない。息吹と禊をしたのは私が誘ったからだよー他はどうか知らないけど、ウタカタでは好きな人と一緒に禊していいんだ」
 などと答えた。それを聞いてホロウがさっと彼女を見上げて、
「ではあなたは息吹が好きなのですか」
 間髪入れずに問いかけた。えっ、と声が出たのは暦と相馬同時だった。
(まさかあんな軽い男に惚れてるのか、こいつは)
 里の女という女に粉をかけ、木綿を幸せにするなどと妄言を吐いたあの伊達男を、よもや隊長をも務めるこの女性が選ぶなど、意外も意外だ。
 もっとしっかりした男の方が似合いだろうにとお節介な事まで考えてしまったが、
「うん、好きだよ。息吹だけじゃなくて、皆ともしょっちゅう禊場で遊んで……えーっと、身を清めてるよ」
 若干ずれた答えが返ってきたので、「ああ、そういう事……」とまたも二人で納得した。
「なるほど、お前は隊長としてウタカタの皆に好かれてるというわけか」
 確かに、ウタカタに来て数日の相馬から見ても、彼女は里の人々に大変頼りにされているようだ。
 先のオオマガドキを防いだ働きを思えば当然だが、モノノフとしての力量はもとより、このおおらかな性格もまた、好かれる要因なのだろう。
「で、では先輩、私も一緒に禊をしてもいいですか?」
 うんうんと一人で頷く相馬をよそに、暦が隊長の腕にしがみついてそんなおねだりをし始めた。
「もちろんいいよー暦。じゃあ里に戻ったらさっそく行こうか」
 隊長が屈託なく承諾すると、ホロウもまたもう片方の腕に取り付き、
「では私も共の禊を希望します。暦ばかりずるいです」
「はいはい、いいよいいよ。なんなら三人で禊しようか。さすがに集中できないかなぁ」
 両手に小娘をぶらさげた隊長がハハハ、と軽やかに笑っている。それを見た相馬は目を細めた。
(……なるほどな。モノノフの技量、性格、そしてこの清浄な気。もとより人を引き付ける才があるのか)
 まだ瘴気の色が濃い異界の中にあっても、隊長の周りは明るい気を放っていて、共にあるだけで気持ちが高揚していく。
 さすが、ムスヒの君と謳われるだけの事はある、と実感する。ミタマを無数に宿すたぐいまれな魂の器、その懐の深さに、誰もが引き寄せられ、魅了される。
 だから彼女の周りにはいつも人が寄り集まっていくのだろう。
(こんな奴がいるのなら、まだ人の世は捨てたものじゃないのかもしれない)
 鬼と戦い続けながら、緩慢な死へ向かっていく世界を見続けてきた相馬にとって、今目の前にいる彼女の存在は希望の光のように思えた。
 もしかしたらこの女なら、滅びの運命さえ変えてくれるのかもしれない、そんな事を夢想させてくれるような気がした。
 だから口の端をあげ、
「……なら、俺も共に禊をさせてもらうかな。三人が四人になったところで、そう変わりないだろう?」
 冗談交じりに、しかし半分くらいは本気でそう言ったのだが、
「最低です最低。隊長が良くても私は相馬と一緒に禊なんてしたくありません」
「相馬は木綿が好きだと聞きました。同年輩の女性より若年層を好むというのであれば、神聖な禊場で邪念が芽生えるのではありませんか」
 隊長が答えるより先に、暦とホロウが自分の得物に手をかけて鋭利な視線を向けてきたので、
「い、いやいや冗談だ冗談! 本気にするなお前ら! あと邪念ってなんだ!」
 慌てて否定する羽目になってしまった。その様を見て隊長が「歴戦の勇者も女の子達には形無しだねえ」と、また笑い声をあげたが、その笑顔は何の憂いもなく爽やかで、相馬は一瞬どきっとしたのだった。