花のうへの露38

『あたしだって、旦那みたいな役立たずは御免だよ。少しは楽しめるかと思ったけど、期待はずれもいいとこだ』
 そう言って、あの女は嘲りの笑みを浮かべた。それなのに思い返すとなぜか、あれが悲しみに満ちた表情だったように思えてならない。
(こんな事を考えるのは馬鹿げている)
 自分が邪な感情を持つ故に、あの女の言葉を、表情を、全て良いように解釈してしまうのだろうか。あんな怪しい女に心を寄せるなんて、伊達の軍師にあるまじき愚挙だ。
 ――それなのに、思うことを止められない。
(朝顔)
 あの時言葉に出来なかった思いは、吐き出せぬまま胸中で凝っていく。
(おめぇは、何をしたい)
 怪我の身を押して石田と戦ってまで、何を得ようとしていたのか。
 敵意を向ける自分へ手を伸ばし、抱いてくれと戯れ言を投げかけたのはなぜか。
 これ以上奥州の民を傷つけさせないと文を残して後、どこへ姿を消したのか。
(朝顔、今、どこでどうしている。無事か、そうじゃねぇのか)
 答えのない問いは積み重なり、息苦しさを増していく。それに耐えかね、大きく息を吐き出した時、
「どうした、小十郎。ずいぶんでかいSighじゃねぇか」
 声をかけられて、夢想を断ち切られた。ハッとした小十郎は馬上で背筋を伸ばし、
「政宗様。失礼致しました」
 早口に答える。同じように馬の上で、腕を組んだ奥州筆頭、伊達政宗は、Fun?とうろんげなまなざしをこちらへ向けてくる。
「今日の道のりが気にかかってる……てぇわけじゃなさそうだな」
「いいえ、無論、気にかけておりますとも。目的地まで、もうすぐですから」
 朝顔に関する懊悩を見透かされたくはない。小十郎は誤魔化すように、視線を転じた。馬の前にあるのは、森の中をうねりながら延びる道。そして背後を振り返れば、政宗と自分に従う奥州の兵達が整然と列を成し、出立を今か今かと待ちかまえている。
(関ヶ原まで、あと一日。どうやら大一番には間に合いそうだな)
 その手綱を握る小十郎は、兵たちに目配りしながら考える。
 徳川家康と石田三成、二人の男によって、東と西に分断された日ノ本。
 いずれぶつかり合うだろうと予見されていた東軍・西軍はとうとう、その戦端を開いた。始まりは小勢力同士の小競り合いにすぎなかったが、一度火花が散れば、後は野火が広がるごとく。それまで息を潜めていたそれぞれの軍がここぞとばかりに立ち上がり、そこかしこで小戦闘が起こる事態と相成った。しかし際限の無い戦で民が犠牲になる事を嫌った徳川は、早急に決着をつけるべく、主戦場となる関ヶ原への召集を各地へ呼びかけたのである。
(文より先に、こっちはもう出ていたがな)
 ごく近い内に戦が起きるだろう、その時乗り遅れては一大事。そう逸る政宗により、伊達軍はすでに昼夜問わず馬で馳せ参じる途上にあった。たまたま行き合った徳川の遣いから召集状を受け取ったのは、昨日の事だ。
(この分なら、うちが一番乗りかもしれねぇな)
 そう思う小十郎だが、しかし主たる政宗は組んだ腕を指でトントン、といらだたしげに叩く仕草をしている。
「小十郎。斥候の奴ら、遅くはねえか」
「まだ先見に出て、四半刻も経ってはおりませぬ。しばしご辛抱なされよ、政宗様。この先に異変なくば、早々に戻りましょう」
 小十郎が政宗をそう言って宥めるのは、訳がある。
 奥州を発って後、昼夜問わずの進軍を強行してきた伊達軍だが、目的地近くまで来て、さすがに馬にも人にも疲れが見えてきた。戦に一番乗りをしたところで疲弊しきっていては意味がない。そう考えた小十郎は政宗に野営を提案し、しばしの休息をする事にした。
 ゆっくり身を休めて人馬ともに十分英気を養い、夜明けと共に出立するつもりだった、のだが。その準備の最中、ずずん、と大きな地鳴りが響き、前方の森から土煙がもくもくと立ち上がったのである。
「もしや、戦ごとか」
 ここはすでに主戦場の近くである。敵対する勢力がぶつかり合い、争いが起きていても不思議ではない。そこへ不用意に飛び込んではまずいと判断した小十郎はすかさず斥候を放ち、今はその帰りを待っているのである。
(とはいえ、確かにそろそろ戻っても良い頃だな)
 小十郎もそう思ったちょうどその時、前方から騎馬が駆けてくるのが目に入った。斥候の兵は二人の前で下馬して膝をつき、大声で報告をする。
「報告いたしやす、筆頭、小十郎様! この先にあった橋が落ちてやした!」
「何、橋が?」
 それにしてはずいぶん派手な音だった、と疑問を声音に乗せて繰り返すと、へぇ、と斥候は頷く。
「どうも西軍方が、爆弾で落としたようです。丸太組んだでけぇ橋が、まるまる全部落ちちまってやす。他の道もちょいと探してみやしたが、どうも見つからねぇんで……」
「ってことは、何か。この先には進めねぇのか」
 政宗の声にいらだちが増す。本格的に機嫌を損ねる前に、と小十郎は口を開く。
「では回り道を致しましょう。急げばさほど遅滞せずに……、?」
 だがその時、微かな空気のふるえが頬をかすめた。(何だ?)反射的に空を見上げた小十郎の視界に、木々から飛び立つ鳥の群が、そしてその向こうに、何か大きなものが浮かんでいるのが映った。
「政宗様……」
 それが何か分からないまま呟くと、あぁん? と政宗も顔を上げる。そしてその飛来物を見て、目を丸くした。
「……What’s? 何だ、ありゃあ」
「……」
 勿論、分かる訳がない。答えられぬまま、小十郎は政宗ともども、徐々に近づいてくるそれをじいっと凝視した。接近してくるにつれ、輪郭がはっきりしてきたそれは、鉄の塊のようだ。しかしその大きさたるや、今ここにいる伊達軍まるまる入ってなお余る巨大で、空に浮かんでいるのが信じられないほどである。
 皆が皆、構える事さえ忘れて何事かと見守る内に、その鉄の塊は高度を下げ、ゆっくりと地上に降りてきた。ごおおおおお、と耳をつんざくような低い音を立て、空気を振るわせて、少し離れた場所に着地する。ずしぃん、と地面が大きく揺れ、人馬ともに驚きざわめく中で、
「……HA! 何だかしらねぇが、面白そうじゃねぇか!」
「政宗様!」
 我先にと飛びだした主に驚き、小十郎は慌てて後を追った。
「政宗様、お待ち下さい! まずは様子見を……!」
 興味を持った途端に飛びつく癖はいつまで経っても治りそうに無い。主を追いかけてその場に押しとどめようとした時、もう一度地面が揺れ、
「…………!!」
 しゅごー!! と空気の抜ける大きな音が響いた。
「! この音は……」
 聞き覚えのあるそれに肩越しに振り返る小十郎。同時に政宗がひゅー、と口笛を吹いた。
「本多忠勝、そのBigな代物を運んできたのはあんたか!」
「……!!」
 鉄の箱の前に降り立った本多忠勝は、言葉にならない声で答えると、重たい足音を立てながら、ゆっくりと近づいてきた。そして政宗達の前まで来ると、
「……!」
 ごぉぉん、と声を漏らしながら、手を差し出した。傷一つ無い大きな掌には一通の書状があり、宛名は伊達政宗殿、となっている。それを受け取った政宗はひっくり返して差出人を確認する。本多が使いとあれば、文の相手は勿論、
「徳川家康、か。ここまできて、一体何の用だかな」
 言いながら文を開く政宗。そう長くはない文面にさっと目を通した後、もう一度口笛を吹いて、小十郎へそれを差し出す。
「小十郎。どうやら徳川は、俺達をお空の散歩に誘いたいらしいぜ」
「……どういう事でしょうか」
 言葉の意味が掴めず、小十郎は眉間にしわを寄せ、恭しく文を受け取った。目を落とすと果たしてそこには、
『遠路はるばる、足を運んで頂き感謝する。貴軍の行き先の橋が先ほど落とされたと報告を受け取った故、忠勝を迎えにやらせた。今目の前にあるものは、徳川軍の特別製の籠である。どうぞ一軍揃って騎乗頂き、快適な空の旅を楽しんで頂きたい』
 などと綴られている。しわを更に深く刻んだ小十郎は丁寧に文を畳んでから、改めてそれを見上げた。本多忠勝の背丈も超すほどの高さと、端が見えなくなるほどの幅を持った、鉄の箱。
「……まさか……我々がこれに乗り、先ほどのように本多殿に運ばせろ、という事でしょうか」
「あぁ、そういうこったろうな」
「政宗様……このような申し出、受けてはなりませぬ」
 さっと本多から距離を取り、小十郎は渋い顔で進言する。
「我ら全てを乗せてこの鉄の箱ごと運ぶなど、いくら本多殿でも出来るものでしょうか」
「それが出来るから、徳川も送って寄越したんだろ?」
 不安一杯の小十郎に対して、政宗は好奇心に満ちた表情で、鉄籠を眺めている。
(少し変わったものがあると、これだから)
「しかし、もし浮かび上がったところを箱ごと落とされでもすれば、戦をせぬまま全滅致しますぞ」
 物珍しさに浮つく政宗を諫めるように、強く言う。が、相手は肩をすくめ、
「仮にも同盟相手を罠にかけるような真似、あの徳川の坊ちゃんがするとは思えねぇな。小十郎、俺は一刻も早くPartyに参加したいんだ。ここで大回りして遅刻するか、空を駆けて一番乗りするか、どっちかを選べと言われたら、俺は後者を選ぶぜ」
 笑いながらきっぱり言ってしまう。小十郎はなおも言葉を重ねようとしたが、しかしキラキラと目を輝かせて腕を組む政宗を見て、諦めた。こうなってはもう、どんな説得の言葉を重ねたところで、この主はてこでも動くまい。
「……分かりました。あなたがそのようにお望みであれば、仕方ありますまい。おい、おめぇら! 徳川殿のご好意だ! 今すぐ、こいつの中に入れ!」
 結局渋々、自軍に命を下すのであった。

 ゴォォォォ……と低い音が耳につく。それと共に絶え間なく伝わってくる振動に落ち着かず、小十郎は頭を押さえた。どうも頭痛がしてきたようだ。
「政宗様……ご気分はいかがですか」
「All right、俺は問題ねぇ。しかしこいつぁ何とも、面白いもんじゃねぇか」
 しかめ面の小十郎に対して、政宗は頬さえ紅潮させ、硝子をはめ込んだ窓から外の景色を楽しんでいた。本多忠勝によって持ち上げられた鉄の籠はいまや上空に浮かんでおり、眼下には森や村などを見下ろす事が出来る。人並み外れた強さを持つ政宗は戦の最中、信じがたいほどの跳躍力で空を駆ける事があるので、初めて見た光景ではないはずだが、
「見ろよ小十郎、馬よりもよっぽどSpeedyだぜ。この分じゃ一日もかからずに着きそうだな。戦国最強の名は気にくわねぇが、本多もさすがに大したもんだ」
 先ほどから、やたらとはしゃいでは感心しきりである。
(全く、このお方は……)
 無闇に緊張されるよりは良いのかも知れないが、楽天的すぎるのも考え物だ。小十郎は頭を抱えたい気持ちでため息をついた。
 眇めた目で辺りを見渡せば、そこには五十畳はあろうかという広々とした空間が広がっている。い草の匂いも香しい広間には、伊達軍の兵たちがそわそわと落ち着かない様子で固まっており、不安そうに天井を見上げたり、窓から外を見てはか細く悲鳴をあげたりと、何とも落ち着かない。
(まあ、当然だな)
 小十郎とて、このような籠に入れられて空中を移動するなど、初めての経験である。
(今、本多が手を離せば、他愛なく全滅する)
 先ほど進言した事を思い返すと、背筋が冷たくなる。いくら剣の腕がたっても、こんな上空から落とされてはひとたまりもない。そう思うと、どうしても緊張してしまう。
(もっとも、そんな事をしても、今の徳川に益は無いが)
 大戦を前にわざわざ、自陣の戦力を減らすような真似もすまい。
(もし何かあれば、政宗様の御身だけはお守りせねば)
 それでも最悪、主君の為に兵を見捨てる覚悟さえ抱き、小十郎が拳を握りしめる。と、不意に鋭い嘶きが耳に刺さった。振り返れば、広間の入り口付近、土を敷いて囲った厩の中で、馬達が忙しなく動いているのが見えた。
「小十郎。俺はいいから、あいつらのところへいってやれ」
「は……いえ、しかし……」
 暴れる馬の手綱を必死で押さえる兵たちを見やり、政宗は言う。側を離れて大丈夫だろうか、と懸念した小十郎は渋面になったが、政宗は良いから行け、と顎で示した。せっかく空の旅を楽しんでいるのに、しけた面で側に控えるな……とでも言いたげな顔である。
(この方は全く、大物に違いない)
 微塵も不安を感じさせないその姿に思わず苦笑いが漏れる。仕方なく小十郎は政宗の前から辞し、足早に兵のもとへ向かった。揺れがあるせいでどうしても慎重な足取りになるがその分、すれ違った兵一人一人に声をかけ、励ましながら、厩へと赴く。
「おい、馬達の様子はどうだ」
 口取り達に声をかけると、何とか馬を押さえ込んでいる男たちはへぇ、と情けない声を漏らす。
「片倉様、こりゃ難儀ですよ。どいつもこいつもおびえちまって、話にならねぇ」
「この音も揺れも、ぜぇんぶ気になるみてぇで……抑えてねぇと、むちゃくちゃに駆けだしていっちまいそうです」
「そうか」
 そりゃあ、落ち着かないのも当然だろう。馬達どころか人間だって、今の状況に少なからず恐怖を感じているのだから。しかしそう言ったところで、どうする事も出来ない。小十郎はあえて落ち着いた調子で、
「おめぇらが怖がってるから、そいつが馬に伝わっちまってるんだ。もっと、腰を入れてどんと構えな」
「へ、へぇ……」
「そうはいいましても……」
「何だ、伊達の男が情けねぇ。政宗様を見てみろ。怯えるどころかむしろ、この状況を楽しんでおいでだぞ」
 そういって示した先では、外の景色を眺め、満足そうに腕を組み悠々と立つ政宗が居る。平素とまるで変わらない、むしろ高揚しているような様は、小十郎には少しばかり羽目を外しているようにも映るが、不安を抱えた兵達には随分と心強い事だろう。
「はぁ……さすが筆頭」
「……そうですね、片倉様。俺たちも男だ、いつまでもうじうじしてちゃあ、伊達男の名が廃る。こうなったら覚悟をきめまさ」
 予想通り、政宗の姿に勇気づけられた男たちはにわかに勢いづき、堂々とした態度で馬を宥め始めた。
(よし、これでしばらくは大丈夫だろう)
 内心ほっとした小十郎は、彼らを手伝う事にした。荒ぶる馬一頭一頭に声をかけ、身体に触れて落ち着かせる。小十郎がいることで口取りも馬も安心したのか、厩は徐々に落ち着きを取り戻していった。
「おっと、おめぇはさすがだな。こんな時でも堂々としてやがる」
 そうして最後に声をかけたのは自分の愛馬だ。葦毛の凛々しい馬は揺れの中でも足を踏ん張って立ち、耳をそばだてて緊張してはいるが、動揺してはいない。政宗の愛馬も同じく、何かあれば主のもとへ向かおうという気概が感じられ、さすがに頼もしく思う。
(こいつらがいなければ、まずこれに乗れもしなかっただろうな)
 最初、伊達軍の馬達はこの鉄の箱に乗ることを嫌がり、その場を動こうとしなかった。兵達のおびえを感じ取ってもいたのだろう、それは当然の反応だ。しかし彼らの首領たる政宗の愛馬と、小十郎の馬が主人を信じ、先頭を切って乗ったからこそ、他の馬もそれに従い、これまでも何とか暴走せずに済んでいたのだ。
「……よくがんばっているな。もうしばらく辛抱してくれ」
 声に労りを込め、小十郎は愛馬の首を叩いた。ぶるる、と鳴いて馬が顔をすり寄せてくる。普段甘えた様子を見せないのに、今はよほど心細いのかもしれない。小十郎はふっと表情を和らげて、優しく体を撫でてやった。しかしその時、不意に、
『あぁ、いい気分だ。晴れてて気持ちがいいねぇ』
 耳の奥に声がよみがえり、どきりとする。とっさに降り仰いだ馬上に、綿入れを着込んでこちらを見下ろす朝顔の姿を見いだし、
「!」
 小十郎は音を立てて息を飲んだ。しかしその幻影は瞬く間に霧散してしまう。しばし、ぼうっと空を見つめた後、小十郎はどっと疲れを感じて肩を落とした。何て事だ、幻まで見るようになってしまうとは。それほどまでに自分は、あの女に焦がれてしまっているのか。
(もう、止めろ。……これ以上考えたところで、どうにもならねぇ)
 馬を撫でる手を止めぬまま、小十郎は浅く息を吐いた。そしてキッと目をきつくして決意する。
(今は目の前の戦の事だけを考えろ。俺の成すべき事は、政宗様にお仕えすることだけだ)
 すでに去った女をいつまでも引きずって何になるというのか。それよりもまず、自分の役割をきちんと果たす事が先決だ。
(俺が、政宗様の背中をお守りせねば)
 これまで幾度と無く立ててきた誓いを今、改めて腹に仕込んで、すっと顔を上げたのと同時に、
 ず……ずぅぅん……
 不意に床が揺れ、重たい音が箱全体を振るわせる。
「!」
「片倉様、もしかして着いたんですかね?」
 再び驚き騒ぐ馬をあやしながら口取りが不安そうに言う。さぁな、と小十郎は答えたが、絶えず聞こえていた重低音は遠ざかり、足の下の妙な浮遊巻も消え、更に窓の外に見えるのは空の青ではなく、城の石垣になっていた。
(もう着いたのか、確かに早い。まだ一刻も経ってねぇんじゃねぇか)
 空を飛べば険路も問題にならないとはいえ、馬で一日はかかる距離をこんな短時間で縮めてしまうとは、本多忠勝恐るべし。足下の安定感にほっとしながら、秘かに心中で感心していると、
 ぎっ……ぎぃぃぃっ……
 不意に眼前の壁に光の線が入った。耳障りなきしみ音を立てて壁、いや鉄扉がゆっくりと開き始め、鉄籠の室内に陽光が差し込む。地面をこする重たい音を立てて扉は開ききり、今度は何が起きるのかと息を飲んで身構える伊達軍の前に現れたのは、
「やぁ、片倉殿! 独眼竜は空の旅を楽しんでもらえただろうか、無事に辿り着いたようで何よりだ!」
 朗々と響く声をもってにこやかに出迎えた徳川家康、その人だった。
(堂々としたもんだな、この男は)
 本多忠勝を従え、風を切って中に入ってきた徳川の姿に、つい苦笑を浮かべつつ、
「あぁ、政宗様はずいぶんお気に召したようだ。少し待て、今お呼びす……る……」
 政宗の居る奥へ半身動かしたがその時、信じられないものを目にして、小十郎は息を止めて硬直した。
(なっ……まさか……)
 またも幻を見ているのだろうか。瞬きの合間に消えてしまうのではないかと、目を大きく見開いてしまう。その瞳が捉えたのは、本多忠勝の隣、同じく徳川に従う形で歩み寄ってきた侍女の姿。
 地味な紺の着物をまとい、小十郎と視線が合うや否や、同じように目を瞠って息を飲んだその女は――紛れもなく、朝顔だったのである。