カラクリ使いは軍師がお好き

 それは特にこれといった騒動もなく、平穏なある日の午後のこと。
「……という報告を受けている。今はまだ動きはないが、いずれ厄介な事になるだろうな」
「では、次の任地は……」
 霊山の部下から受け取ったばかりの報告書を手に、相馬と九葉が人気のない場所でまじめに打ち合わせをしていたところ、
 ズザザザーッ!
 突然、何者かが地面を削るような勢いで目の前に滑り込んできた。何事と素早く構える相馬、眉を上げる九葉、その二人を前にして、
「九葉! こんなところにいた!」
 がばっと顔を上げたのは、カラクリ使いの隊長その人だった。その切羽詰った様子に相馬が、
「何だ、どうした。何か厄介ごとでも起きたのか?」
 身を乗り出して問いかけたのだが、相手は全くそれを無視して、
「九葉、私もあなたと結ばれたい!」
「ぐおっ!?」
 いきなりがばーっと軍師に抱き付き、そのまま勢いよく一緒くたに倒れ込んだので、
「……は?」
 思わず目を点にして硬直してしまったのだった。

「つまりお前はつい先ほどまで、初穂からウタカタの話を聞いていたと」
「はい……そうです」
 一通りの悶着があった後、ようやく九葉から隊長を引きはがした相馬は、やむなく聴取役を引き受ける羽目になった。
「…………」
 地面に正座して、げんこつを喰らった頭をさする彼女の前で、九葉はいつも以上の険相でむっすり黙り込んでいる。
 地面を擦ったらしい腕をおさえているのを気の毒に思いながら、相馬は話を続ける。
「それで一体何がどうなったら、こんな事になる? さっき、何か面妖な事を叫んでいた気がするが」
「そう! それだよ!」
「立つな。座れ」
 がばっと立ち上がろうとするのを、九葉が冷たい声で制したので、彼女は釘で打たれたようにその場にとどまった。ですから、と言葉遣いだけは殊勝に語る。
「……二年前、ウタカタの里にイヅチカナタという鬼が現れた時の話をしてもらってて。その鬼が実体化し始めたら、因果の崩壊っていうのがあったって」
「…………」
「ああ……そんな事もあったな」
 眉間のしわを深くする九葉の横で、相馬もつい顔をしかめた。あの時の事はまだ記憶が一部混濁しているが、
「イヅチカナタは世界の結びを喰らい、結びを失ったミタマを得て力とする鬼だった。俺も危うく過去に引きずられて消えるところだったぞ」
 辛い過去を忘れ、幸せな記憶に溺れ、やがて自分自身も消失していく。その当時はそれを疑問にさえ思わなかったが、今思い起こせば、あれほどの恐怖はない。自身が砂の像になって崩れ落ちていくような感覚は、もう二度と味わいたくなかった。
「だが、ウタカタの隊長が……そう、あいつもお前と同じくミタマを複数宿せる体質でな。皆が喰われる前に、その魂をこの世界に結び付けて、助けてくれたんだ」
 彼女が今もって、今世のムスヒの君と二つ名で呼ばれるのは、この出来事によるところが大きい、と語を足そうとしたところ、だから! とカラクリ使いの隊長が声を跳ね上げた。
「そこ! そこ!! 魂を結び付けたってところ! それ、そのウタカタの隊長さんと魂が結びついてるって事なんでしょ!?」
「あ、あぁ、そうなるが」
 何だいきなり、とやや身を引きかける相馬と反対に、制止を押し切って立ち上がった隊長はぐぐい、と拳を握りしめて力説した。
「初穂は隊長さんと魂が結ばれてるの、今でも実感するって言ってたの。
 どんなに遠くに離れていても、どんな時でも、いつも隊長さんの事を感じてるって、そう言ってたの。相馬もそうなんでしょ?」
「まぁ、そうだな。あいつの命と繋がっているという実感は、ある」
 ほぼ無意識に胸元へ手を当てて首肯する相馬。普段ことさら意識しないが、相馬も確かに隊長との結びつきを感じてはいる。
 もし絶望的な状況に陥っても、彼女の存在を体の奥底、魂で感じていれば、希望が泉のように湧き出てくる。
 それはどんなに強力な武器や防具より、何よりも強大な力となって、自分を勇気づけてくれると相馬は思っていた。
 しかし、だからそれが、と子供のように地団駄を踏む隊長。
「ずるい! 羨ましい! 私も九葉と魂で結ばれたい!」
「は?」
「…………お前は何を言っている」
 いい加減見かねたのか、九葉が口を開くと、隊長は涙目で見上げた。
「だって! 九葉もその隊長さんと結ばれてるんでしょ? そんなの羨ましい! 私も九葉に四六時中、年がら年中、感じてもらいたい!!」
「いやお前、ちょっと待て」
 いくらなんでも声が大きすぎて、人気がなかったはずの場所なのに、物見高い里人がちらほら顔を出すようになってきている。しかも言葉の選択が色々不穏だ。
 とりあえず止めようとする相馬だが、隊長は全く耳に入っていないらしく、
「九葉~私とも結ばれようよ~やり方わかんないけど、かぐやに聞けばわかるかもしれないし、何ならその隊長さんに聞いてみようよ~」
 などと九葉にすがりついている。おいおい、と思っていたら、
「いい加減にせぬか、この阿呆が! そのような事をおいそれと出来るわけがなかろう!!」
「痛い! 痛い痛い痛い九葉痛い目がつぶれる!!!」
 九葉が突然隊長の顔を掴み、力いっぱい握りしめ始めた。
 不意打ちで避けられなかったのか、がっちり頭を掴まれた隊長はこれまたギャーギャー叫ぶ。その様ときたら、
(まるで近所の悪ガキの仕置きだな……。これが霊山軍師とマホロバの英雄とは、初めて見た奴はおもわんだろうな)
 何とも平和な光景だと思わず苦笑する相馬。力の続くまで隊長の頭を締め付けて懇々としかりつけた九葉は、
「下らぬことで騒ぐ暇があるのなら、任務の一つでもこなして来い。
 お前はもはや私の部下ではなく、マホロバの隊長なのだ。その責務を果たせ」
 ようやく隊長を解放して冷淡に言い放つ。対して隊長は、
「うっうっ、九葉痛い……ひどい……」
 捨てられた女のように大げさなしぐさで地面に突っ伏して凹んでいた。その様子を見下ろした九葉は、手を開き閉じしながら、
「……大体、いまさら」
 ぼそっと呟いた。ん? と相馬が視線を向けると、九葉はそれを避けるように顔を背け、
「相馬、それを御役目所へ捨ててこい。報告についてはまた後程な」
 逃げるようにすたすたと歩み去ってしまう。
「うっうっうっ、九葉冷たいよう……私と結びつくのをそんなに嫌がらなくてもいいのに……」
 隊長は相変わらず悲劇の女の体で地面にうじうじと穴を掘っている。相馬は九葉の後ろ姿と彼女と見比べてから、くすりと笑った。
「別に嫌がってるわけじゃないんじゃないか? いまさら、と言っていたのだから」
「え?」
 相馬の台詞に顔を上げる隊長。
 ??? という表情をしているところを見ると全く分かっていないようだが、付き合いが長くなりつつある相馬には、続く言葉が分かる気がした。すなわち、
 ――大体、いまさら。こちらは十年前から、お前を感じ続けていたというのに。
「……なんだかんだ言って情が篤いな、あの人は」
「え、え、何? 相馬何なの? 一人で納得して頷かないでくれる?」
 意味が分からない隊長が今度は相馬にもすがってきたが、答えは自分で聞き出すべきと放置しておくことにした。
 ……おかげで二、三日絡まれ続けて、なるほどこれは九葉殿の苦労がしのばれると実感する羽目にもなったのだが、それはまた別の話。