薄氷は割れて

「おい、外を出歩いて大丈夫なのか」
 ある晴れた日の午後、満開の桜の下に佇むカラクリ使いを見つけた刀也がそう声をかけたのは、任務で大怪我を負った彼女の姿が頭をよぎったからだった。
「刀也」
 振り向いてこちらの姿を見つけた彼女は、あきれ顔になって右手を腰に当てる。
「平気だって何度も言ったでしょう。あれからもう一か月だよ? ぴんぴんしてるって」
「だが、無理はするな。あれだけの怪我をしたのだから、本調子とまではいかないだろう」
「本調子です、もー心配性だな刀也は。
 そんな事言ったら、私も心配になってくるんだけど。あなただって重傷だったくせに、博士のところから強引に退院したでしょう」
 それはその通りだ。痛いところをつかれて、刀也は思わず視線を背けた。
 眉間にしわを深く刻み、
「……お前がまた任務に出ようというのに、いつまでも寝込んではいられん。あの借りを返さなければ、俺の気が済まない」
 と答える。義理堅い、と彼女はため息交じりに呟いた。
「そんな事、気にしなくていいのに。気楽にいこうと誘ったのは私だし、どっちが悪いというものでもないでしょう」
 彼女がそういうのは、前回の任務で隊長格が揃って不覚を取ったからだ。
 異界の漂流物を採取する簡単な内容に、自分とカラクリ使いで十分だろうと油断をしていたのも良くなかった。
 探索中、突然ハクメンソウズとカバネヒキが襲い掛かってきて、たった二人で迎え撃つ羽目になった。
 しかも周囲が大量の瘴気に満たされてしまったものだから、ハクメンソウズは倒し切ったものの、情けない事に自分が行動限界で先に膝をついてしまった。
 更に悪い事に、こちらに目を付けたカバネヒキが嬉々としてその鋏を振り上げ、殴りかかろうとしたところを、
『刀也、危ない!』
 彼女が勢いよく突き飛ばし、代わりにその打撃をもろに受けてしまったのだ。
 ハクメンソウズを倒すだけでも相当な傷を負っていたから、それはとどめに等しかった。
 砂の上を何回転もしてやっと止まった彼女は、何とか起き上がろうと頭を持ち上げたが、それ以上動けずにいた。
『カラクリ、使い!!』
 その姿を目にして、鉛のように重たい体が動いた。
 我ながら鬼気迫る一閃でカバネヒキを真っ二つに切り裂き、鬼祓いする余裕もなく彼女の元へ駆けつけた。
 そうして互いを励ましつつやっとのことで拠点にたどりつき、何とか里に戻って来られたのだが、自分も彼女も昏倒し、博士の集中治療を受けた後、しばし入院する羽目になってしまったのだ。
「私はちゃんと博士のお墨付きを得て退院したもの。そんなに心配する事ないよ」
 あの時寝台の上で昏々と眠っていた彼女は今、顔色も良く、ちからこぶしまで作って好調を主張してくる。
 それに対して自分は、無理をするな、ともう一度同じ言葉を繰り返してしまう。
「あの時地面に転がったお前を見て、血が凍るかと思った」
「!」
 ぽろりと零れた言葉に彼女が目を瞬く。
 しまった。言うべきではなかったかと後悔したが、どういう意味かと問いかけるようなまなざしをまっすぐ向けられては、口を閉ざしたままではいられない。
「……目の前でお前が死ぬような事があれば、俺はまた一つ、取りこぼしてしまう」
 気まずい思いで呟いたのは、自分の弱さを吐露する事に慣れていないからだ。
 普段は決して吐かない弱音を晒してしまう事が情けなく、しかし彼女はあからさまな同情も、見下しもせず、ただ真摯に耳を傾けてくれるから、自然と口が軽くなってしまう。
「俺の力が足りないばかりに、あの時お前を死なせてしまっていたら、俺は一生自分を許せないだろう」
 元よりサムライとして育ってきたからか、女子供を守らねばという気持ちは、他のモノノフより強い自覚がある。
 自分は彼女より年上の男だ。
 特別意識している訳ではないが、同行する時は彼女を守るような立ち位置で動く事が多い。
 だから前回も同様の気持ちで臨んでいたというのに、あんな窮地に陥らせてしまった事を悔やまずにはいられない。
「俺が今少し、注意を払っていれば済んだ話だ。お前に無用の苦しみを味合わせた事を済まなく思っている。次がもしあるのなら、俺は」
「刀也」
「むっ」
 不意に、背伸びをした彼女がこちらの鼻をぎゅっとつまんだので、言葉が空回りした。
 何をするのかと思ったら、手を離した彼女は何やら不機嫌そうな顔でこちらを見上げてきて、
「刀也、何であなたが一人で責任をしょい込んでるような顔してるの? 私がいつ、あなたに守ってほしいとお願いしたの?」
 人差し指を立てて、言葉を強調するように振りながら言う。
 請われてはいない。自分が勝手にそうしただけだ、そこを突かれては何も言えない。
 ぐっと黙り込んだ自分に、彼女は言い募る。
「さっきも言ったように、油断はお互いさまでどっちが悪いというものじゃないでしょ。
 刀也、私だってモノノフなんだから、自分の命の責任は、自分で負ってるの。
 もしあなたと一緒にいて死にかけたとしても、それは私のせいで、あなたのせいじゃないんだから、一生自分を許せないなんて言わないで。
 そんな風に背負われたら私、あなたと一緒に任務なんて今後いけないよ」
「……それは……」
 困る。と言いかけて、そのこと自体に困惑する。
 なぜカラクリ使いと同行できないと自分は困るのか。
 彼女が来る前から、自分はサムライ部隊を率いて任務に当たっていたのだ。彼女と行かないのであれば他の者と組めばいいだけの話なのに、なぜ自分は、
(寂しい)
 などと感じてしまったのか。
「刀也? 聞いてる?」
「! あ、ああ。無論、聞いている」
 話している最中に考え込んでいる事に気づいたのか、彼女が突っ込んできたので、慌てて首を縦に振る。だからね、と彼女は話を続けた。
「これから一緒に任務に行くのであれば、必要以上に私を守らなくていいからね。自分の身は自分で守ります」
「……だが俺は、お前を守りたい」
 不意に、反発するように言葉が滑り出た。ぎょっとしたのは彼女だけでなく自分も同様で、お互い目を瞠ってしまう。
 そのまましばし硬直した後、最初に我に返ったのはこちらの方だった。
(そうか。俺は守りたいのか)
 自分で言ったくせに、今更その言葉の意味を実感する。
 自分は彼女を守りたいと願っている。
 彼女が自分を庇って死にかけた時、目の前が真っ暗になるほどに絶望したのは、今度こそ、どうしても失いたくないからだ。
「俺は、お前を守りたいんだ、カラクリ使い」
 そう実感したうえで放つ言葉は、重みが違うように思える。繰り返し告げると、彼女は目を瞬いた後、そんなのは、と言う。
「そんなのは、刀也、私だって同じだよ」
 びし、と指を突きつけてくる。
「あの時、刀也は私を守りたいと思ったから、瘴気で動けなくなったのに無理したんでしょう?
 私もあなたを守りたい、あなたを死なせたくないから、あんな無茶したの。
 それならおあいこなんだから、もう無理するなって言わないで」
「……どこが、あいこなものか」
 軽い苛立ちを覚えて、手を挙げた。吸い寄せられるように彼女の頬に当てたのは、そこに残る傷跡に触れたかったからだ。
 よく見なければ分からない、うっすらとした、だが確かに存在する痕。それはあの時、カバネヒキの鋏で傷つけられたものだ。
「女が顔に傷をつけるほどの無茶をするな」
「別にこのくらい、勲章みたいなものでしょう」
 少し困ったように眉を八の字にしながら、彼女がへらっと笑う。本人は本当に気にしていないのだろう、虚勢を張っているようには見えない。
 だが、刀也はそう簡単に受け流せない。これは彼女が自分を庇ってつけてしまった、一生消えない傷なのだから。
「むしろモノノフなら箔がつくってものじゃない? 普通の里の人なら嫁の貰い手無くなるかもしれないけど」
 だから、彼女がそう言った時、
「もしお前がそうなったら、俺が責任を取ろう」
 と答えたのも自然な気持ちの流れだった。途端、彼女がなっ、と言葉に詰まった後、急に真っ赤になった。
「と、刀也、な、何言ってるの? じょ、冗談だよね?」
 よほど予想外だったのか、いちいち口ごもりながら問いかけてくるのが、それまで飄々としていた様子と正反対で、少しおかしい。
「……さぁ、どうだろうな」
 頬の温もりに名残惜しさを感じながらそっと手を離して、刀也は珍しく口の端を少し上げて笑ったのだった。